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第20回 日本人が中国人よりモテる砂漠のオアシス(甘粛省ピチャン)

COLUMN

古都・西安がある甘粛省の西域に、「ピチャン」という可愛い響きの町があります。かつては東西交易の中継点として栄えたオアシスで、現在は漢族のほか、回族、ウイグル族ら19の民族が暮らしています。近隣(といっても結構遠い)の敦煌、ハミ、トルファンなどは日本でもおなじみですが、ピチャンを知っている人は、よほどの中国通といえるでしょう。今回は4年前にそのピチャンを訪れた際の思い出話を紹介したいと思います。

 

この町の主役は、エキゾチックな顔立ちをしたイスラム系少数民族の人たちです。なにかと騒々しい漢族が少ない(住民も観光客も)うえ、めぼしい観光名所もないため、町はとにかく静か。ゆっくりと心穏やかに、回族やウイグル族の人たちの「素顔」に触れることができました。

 

ピチャンで唯一の名所といえるのが、町の中心部から路線バスで手軽に行ける沙山公園。中国語で「沙」は「砂」を意味します。公園までの道は広く、ちゃんと舗装もされているのですが、驚いたのは人と交通量の少なさ。ガラガラのバスでガラガラの道をスイスイ進んで行くという経験は、中国では本当に貴重です。表通りを少しはずれると、ポプラ並木が続く未舗装の細い道があり、ロバ車が砂埃をあげながら荷台を右に左に揺らしていました。手綱を握っているのは、濃い髭をたくわえたイスラム系の男性です。ポプラ並木の先にある、我が家へ帰る途中なのでしょうか。

 

薄暮の沙山公園に着くと、そこには一面の大砂漠が。キャラバン隊の姿こそなかったものの、童謡「月の沙漠」の哀調を帯びたメロディーが浮かんできました。

 

せっかくなので月が現れる時間まで待っていると、昼間の猛暑がうそのように、砂上を爽やかな風が吹き抜けていきます。砂漠地帯は、昼夜で寒暖の差が激しいのです。西の空の色が刻々と変化していき、夜の帳(とばり)がおりると、月明かりに照らされた砂の世界は、いっそう神秘的な雰囲気を醸し出していました。

 

シルクロードの砂漠といえば、敦煌の鳴沙公園が有名なのですが、俗化されすぎた感がある鳴沙公園より、はるかに素晴らしい場所でした。どうかこのまま、ピチャンはピチャンのままであってほしい、と願わずにはいられません。

 

 

 

遅い夕食を取ろうと、「清真」と書かれたイスラム料理の食堂に入りました。「清真」とは「イスラムの」という意味で、宗教上の理由からビールを置いていないのが残念なのですが、名物の牛肉料理を食べていると、暇を持て余していたらしい店員の女の子が2人、「あなたはどこから来たの?」と声をかけてきました。「日本だよ」と答えると、「へえ」と感嘆の声をあげ、「日本人と話すのははじめて」と目を輝かせ、向かいの席に腰をおろし、「仕事は?」「結婚しているの?」「どうやって来たの?」「なぜピチャンに?」など質問攻めが始まりました。なかには「日本は上海や北京より遠いの?」というトンチンカンな質問も。海を知らない彼女たちにとって、日本はまったく距離感が想像できない未知の世界なのでしょう。結局、1時間以上も話し込んでしまいました。

 

彼女たちとの会話のなかで、最も印象的だったのは、ちょっと声を潜めながら言った「中国人は嫌い」という言葉です。イスラム系少数民族と漢族の根深い対立は、ときに血の惨事になることも珍しくありません。中国人の「反日」感情と同様に、彼らもまた「反漢」感情を常に燻らせています。ただ、彼らの間に「反日」感情はないので、遠来の日本人を笑顔で歓迎してくれるのです。

 

彼女の言葉は「不喜歓中国人」。「嫌い」ではなく「好きではない」とも訳せるのですが、彼女の表情から「嫌い」という訳語がふさわしい気がしたのです。「不喜歓中国人」――けれども共通の言語は中国語だけ。彼女たちの日常語を理解できないことが、たまらなく悔しく感じられました。
「明日、町を案内してあげる」
「それは嬉しいけど、早朝のバスで移動しなくちゃいけないから」「そうなの。残念。日本人と話せて楽しかった。また必ず遊びに来てね」

 

翌朝、後ろ髪を引かれる思いでピチャンを後にしました。

中国に住むイスラム系少数民族は、タリバンやアルカイダなどの過激なイスラム原理主義者とは完全に一線を画する心優しい人ばかり。漢族との衝突も、民族の尊厳を守るための「抵抗」であり、「暴動」ではありません。「暴動」とは、つい最近、中国各地で頻発した秩序なき破壊・放火・略奪行為を指すべき言葉です。
ピチャンの漢字表記は「鄯善」。「善」が2つ並ぶ、いい地名だと思います。

 

 

 

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