「これまで訪れた都市のなかで、いちばんのお気に入りは」との質問には、迷うことなく「香港」と答えています。スターフェリーやヴィクトリアピークから望む摩天楼、道路にせり出したド派手な看板をすり抜けていく路面電車、日本のスターホースの出走も多い沙田(シャティン)の競馬場、さまざまな露店が蝟集(いしゅう)する旺角(モンコック)の夜市――清潔かつ便利な都市で何の不自由もなく快適に過ごしながら、アジアの猥雑な雰囲気をも存分に堪能できるのが、香港の最大の魅力といえるでしょう。
沢木耕太郎さんの名著「深夜特急」でも、香港でのくだりが最もエキサイティングに描かれています。中国に返還されたのちも、ギャンブルやポルノ(日本以上に規制が緩く、女性器すらモザイクなし)はOKですし、人々の気質もほとんど変わっていない印象を受けます。
香港人はとにかくスマート。ゴミのポイ捨て、ツバ吐き、行列への割り込み、汚物まみれのトイレ、無愛想な接客、威丈高な公安、観光客相手のぼったくり――大陸でしばしば直面する不愉快な出来事とはおよそ無縁で、外国人との距離感にしても、基本的にフレンドリーではあるものの、過剰な「熱烈歓迎」を押し付けることはないので、こちらも肩肘を張る必要がなくラクなのです。こうした香港人の洗練されたマナーは、長く英国領だった歴史の産物なのかも知れません。彼らは公用語の英語、広東語に加え、マンダリン(北京語)も話せるバイリンガルでもあります。
冒頭から長々と香港のセールスポイントについて列挙してきましたが、香港をあまり評価しない人の間には「東京同様、生活のリズムが慌しいので疲れる」「ビルばかりで、自然が少なく落ち着かない」といった声があることも事実。実際、朝夕のラッシュにはウンザリさせられますし、中環(セントラル)あたりのオフィス街は、都心の風景となんら変わりません。しかし、そんな人たちには「ならば、ぜひ離島へ」と勧めることにしています。
おすすめは、長洲島、坪洲島、南丫島など。いずれもフェリーで1時間以内の近場ながら、香港の喧騒とは別世界の緩やかな時間が流れており、まだ開発されていない豊かな自然、そして「香港版ALWAYS三丁目の夕日」ともいうべき懐かしい下町の原風景も残っています。
水槽で泳ぐ新鮮な魚介類を安価で味わえるのも離島ならでは。海沿いの通りに簡素なテーブルと椅子を並べただけのレストランで、冷たいビールを飲みながら美しい夕日を眺めていると、ここが香港であることを忘れてしまいます。4年前、両親を香港へ案内したことがあるのですが、帰国後、母親は「賑やかな夜市や100万ドルの夜景も楽しかったけれど、のどかな離島が特によかった」と嬉しそうに話していました。あれこれ考慮したすえ、離島行きをスケジュールに組み込んだのは大正解。ささやかな親孝行ができたと思っています。
坪洲島で親しくなったおばさんは、「島のスローライフはいいでしょう。『香港』なんてダメダメ。人間は多いし、土地が狭いから家賃は高いし、無理して住む場所じゃないね。島からだって、通勤しようと思えばできるんだから」と、ひとしきり力説していました。本島を「香港」と呼んで区別するのは、八丈島や小笠原の島民にとっての「東京」のような感覚なのでしょうか。
一介の旅人にすぎない僕の場合、スローライフとシティライフ、どちらの「香港」にも愛着を感じています。また、肯定的な意味も含めて中国人が「優等生」ではないからこそ、「優等生」たる香港人のキャラクターが生かされていることも理解しているつもりです。もし、大陸の大都市がみな香港化してしまったら――香港の輝きが色褪せてしまう気がしてなりません。