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創考喜楽

第13回 命の尊さを教えて くれた聖地~チベット自治区ラサ~

COLUMN

今回から当コラムは第2部に突入いたします。

 

第2部では、「旅から見えた、学んだ中国」と題しまして、中国各地で私が体験し、感じたことから学んだことについて、書きつづっていきます。

 

「かわいい子には旅をさせろ」という言葉があります。人との接し方、トラブルへの対処法、異なる価値観の発見など、それは旅をしなければ体得できない「財 産」が多々あるからでしょう。僕自身、中国を旅するなかで、さまざまなことを学びました。このコラムを通して、ひとりでも多くの方が、中国と中国人の懐の 深さを感じ取り、中国に対して興味を持っていただければ幸いです。

 

中国へはもう50回以上も訪れていますが、もちろん、楽しい思い出ばかりではありません。幸い強盗や傷害といった犯罪に巻き込まれた経験はなく、その点 では幸運だったといえるのですが、生命の危機を感じるほどの病気に苦しんだことが一度だけあります。その病気とは、チベット自治区で見舞われた高山病。あ れから15年が経過した今も、当時の恐怖心は脳裏に深く焼きついています。「心身とも健康であってこそ楽しい旅ができるもの」とのメッセージを込めて、今 回は高山病体験を振り返ってみたいと思います。

 

四川省の成都から空路で降り立ったラサ空港は、いきなり富士山頂より高い標高約3650メートル。空気の清々しさよりも、空気の薄さを実感しました。思 い切り深呼吸をしても、酸素が肺にまで届かない感じ、と表現したらいいでしょうか。
市内へ向かうバスに揺られている時点で、はやくも身体に軽い異変が。貧血時のように、まったく全身に力が入らないのです。「これは用心しなければ」と自ら 言い聞かせ、この日はゲストハウスで安静にすることにしました。ところが、ベッドに横になっていても、いっこうに症状は改善せず、頭痛が激しくなり、目の 焦点さえ定まらなくなるなど、むしろ体調は悪化するばかり。何度も尿意を催し、そのたびに重い身体を引きずって必死の思いでトイレへ行っても、尿は一滴も 出てくれません。トイレを往復するだけでも相当に体力を消耗するので、これには心底まいりました。面倒だから漏らしてしまえ、と思っても、羞恥心が邪魔を するのか、無意識のうちに起き上がってしまうものなのです。
さらには、壁から何かが飛び出てくるような幻覚や意味不明の幻聴にまで襲われ、これが現実なのか夢なのかも分からず、昼なのか夜なのかも分からず、長い夜 が更けていきました。今になって思えば、麻薬中毒者の禁断症状も、あんな感じなのかも知れません。

 

眠った、というよりは力尽きたのでしょう。目覚めると、窓の外には抜けるような青空が広がっていました。天空に近く、空気が薄いからこその青さ。しかし、 高山病地獄に苦悶している身には、空気が薄い青空よりも、排気ガスまみれであろうと下界の灰色の空が恋しく感じられます。高山病に治療法はなく、すぐに下 山するか、身体が高度順応するのを待つか、この二者択一しかありません。死に至るケースも少なくないので、絶対に無理は禁物です。さっさと成都へ戻ってし まおうか、との考えも頭をかすめたものの、長年の夢が叶ってようやく訪れたチベットですし、空港へ移動するのも億劫なくらい身体がだるく、結局、まるまる 3日間、ベッドでほぼ寝たきりの生活を余儀なくされました。

 

この間、食欲はまったくなく、摂取したのは水分だけ。しかし、少しは身体が順応し始めたのか、2日目からは幻覚・幻聴が消えてくれ、いくらか楽になりまし た。

 

2日目の夕方、ペットボトルの水を買いに行こうと、どうにか気力をふりしぼり、ヨロヨロと手摺にもたれながら3階から階段を下りていると、半死状態の日本 人旅行者を心配したチベット族のスタッフが、「あとで荷物を移しておくから、1階の(エントランスに近い)部屋に替わりなさい。階段の上り下りがないだけ でも負担が少なくなるから」と気遣ってくれ、「近所にある薬局で酸素ボンベを吸入するといい」と有益な情報まで教えてくれました。

 

どれだけ効果があるのか と疑いつつも、藁にも縋りたい思いで薬局へ行ってみると、そこはごくふつうの小さな店舗で、安手の簡易ベッドがひとつだけ置かれていました。漢族の初老の 店主は、僕の青ざめた顔色を見てすぐに事情を察したのか、優しげな表情で簡易ベッドに横になるよう指示。すぐに酸素ボンベをセットし、人生初の酸素吸入体 験が始まりました。
すると、酸素の効果は覿面で、10分ほどで激しい頭痛や動悸が雲散霧消し、身体が軽くなってきたではありませんか。ふだんは存在するの が当たり前と思っていた酸素のありがたさを痛感するうち、心地よい眠りに落ちていきました。こうして1時間近い酸素吸入が終わると完全復活です。確か 20~30元の謝礼を払い、意気揚々とゲストハウスへ帰りました。

 

とはいえ、高山病はそう簡単に退治できる病気ではありません。それから数時間は快調だったものの、夜半、酸素が切れた頃、再び激しい頭痛と倦怠感が襲って きました。翌日は、午前、午後、夜と3回も薬局へ。すっかり酸素吸入の虜(とりこ)です。最近、「酸素バー」というのがブームとなっているようですが、効 果があることはチベットで体験済みなので、疲れが溜まった際にはぜひ行ってみたいと思っています。

 

そして4日目の朝、とうとう身体が高度順応してくれました。その日を境に、ハードに動き回っても体調が悪化することはなく、思う存分、チベットの魅力を満 喫することができました。

 

あれから14年――この間に世界最高峰を走るチベット鉄道も開通し、「鉄ちゃん」の筆者としては、再訪したい気持ちが起きなかったわけではないのですが、 高山病のトラウマがチベットへ向かおうとする意欲を萎えさせてしまうのです。毎年、「今年こそは」と思ってはいるのですが――。

 

北京五輪イヤーの08年、ラサで大規模な暴動が発生し、多くのチベット人が犠牲となりました。その後も民族対立の火種は燻り続けており、今年は各地でチベット僧による抗議の焼身自殺 が相次いでいます。彼らが尊い命を賭してまで守りたい伝統文化や民族の尊厳、それは一介の旅人にも理解できるものですが、チベットの青い空に銃声は似合いません。

 

高山病で苦しんでいるときに助けてくれたチベット族と漢族の人たちが、ともに心穏やかに暮らせる日が訪れることを心から願っています。

 

 

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