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創考喜楽

第7回 変わる中国、でも変わらない人たち

COLUMN

中国の変わりようについては、いまさら多くを説明するまでもありません。社会が変われば、人も変わるのが世の常。人々のライフスタイルや価値観は、大きく様変わりしました。ほんの10年前、中国人観光客が銀座でブランド品を買い漁る光景など、誰が想像し得たでしょうか。

 

しかし、どんなに社会が激変しても、中華民族のDNAにしっかりと刷り込まれた伝統・思想は些かも変わっていない――そう感じる場面も多々あります。その代表例が「家族との絆」です。中国でも核家族化が進んでいるとはいえ、故郷や肉親への想いは日本人以上に強い気がします。日本人の場合、「仕事が忙しい」「交通費が高い」といった理由で、盆や正月にさえ帰省しない人が少なくありませんが、中国人にその感覚は理解できないはず。チケットを入手するため長蛇の列に並び、身動きも取れないスシ詰めの列車に長時間揺られ、万難を排してでも「春節」(旧正月)に家族のもとへ向かうのは、「血」のなせる業としか言いようがありません。日本人にはピンとこないかも知れませんが、「春節」の民族大移動は想像を絶する凄まじさで、よほど望郷の念が強くなければ、とても我慢できるものではないのです。

 

福島の原発事故のあと、日本で生活する中国人の避難ラッシュがありました。被災地に住んでいたならともかく、遠い関西圏の人たちまでが続々と日本を離れる現象を目の当たりにし、「ちょっと過剰反応なのでは」という印象を禁じ得なかったのですが、「何が何でも帰って来い」――実は祖国で案じる家族からの “帰国命令”が絶えなかったそうです。家族に懇願されると、すっかり里心がついてしまうのが中国人のいいところ。要するに過剰反応ではなく、「家族を心配させたくない」との思いが強かったのですね。

 

写真は鄭州の駅前広場で列車を待っている人たちです。車座になって談笑したり、地べたに横になったりして、長時間を過ごすのが彼らのスタイル。帰省シーズンには、だだっ広い広場が人で埋め尽くされます。駅前にはファストフード店がたくさんあるにもかかわらず、やはりこのスタイルが落ち着くらしいのです。近代的な高層ビルが建ち並ぶなか、駅前広場の一角だけ、人民の熱気が渦巻く昔のままの中国が残っているのは、まさに表題の「変わる中国、でも変わらない人たち」そのもの。閑散、整然とした駅前風景は中国らしくないので、いつまでも変わらないでほしいと思います。

もう1枚の写真は、赤ちゃんのお尻の部分に注目してください。見事にかわいいお尻が丸出しになっています。これは「开裆裤」と呼ばれる伝統的な穴あきパンツ。そのまま路上(ときには車中!)で、おしっこやうんちをさせてしまうのです。オムツが不要ですから、エコといえばエコといえるのですが、公衆衛生に厳しい日本では考えられませんよね。もちろん、紙オムツも簡単に入手できるのですが、いまだ「开裆裤」の人気は根強く、田舎でなくとも、ごく当たり前に目にします。赤ちゃんがどこで用を足そうと、中国人は誰ひとり気にも留めません。この大陸的な大らかさ、われわれ日本人はとても真似できませんが、やはり変わってほしくないと思います。

 

「开裆裤」に限らず、中国の人は新しいものに興味を示しつつ、古いものも大事に使い続けています。むしろ、多くのものを捨て去ってきたのは、「中国の変化のスピードには付いていけない」と嘆く日本人のほうではないでしょうか。中国人の間で「温故知新」の教えは、まだ色褪せてはいないのです。

最後に「変わる中国、でも変わらない人たち」の腹立たしい面々について。先の高速鉄道事故を振り返ると、事故原因がお粗末ならば、事故対応もお粗末の限りでした。為政者たちの隠蔽体質は相も変わらず。最も変わってほしい、変わらなければいけない人間がまったく変わっていない状況にやるせなさを感じます。

 

ただ、今回は中央テレビ局のアナウンサーが鉄道部長を叱責する異例のコメントを発したり、一部のマスコミがタブーを破って当局を「くそったれ」と酷評したり、いつも画一的なメディアに変化の萌芽がみられました。「変わらない為政者たち」を変える契機になってほしいものです。

 

変化するパワーと変化に抗うパワーがせめぎ合うなかで、微妙なバランスを保っているのが、中国の現状なのかも知れません。

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