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創考喜楽

2020.06.15
KNOW-HOW

第10回: “逆鱗”にふれるな
韓非子のシビアな人間観


ビジネスや人生においては、人と打ち解け調和することも大切です。しかし一方で、無根拠に人を信用したり、親しい人からの甘い誘惑に乗せられないように注意する必要もあります。このバランスは非常に重要です。今回は後者の「人を信じすぎない」ということについて、深く考えていきたいと思います。

 

 

韓非子による功利主義の考え方

 

 

韓非子によれば、人と人との間には肉親の間でさえ純粋な愛情や信頼関係は存在しません。あるのは利害関係、そしてお互いの我欲、功利主義だけです。

 

 

『韓非子』ではこんな例が挙げられています。

 

 

 

雨が降って、ある金持ちの家の土塀が崩れました。息子は、「すぐ修繕しないと泥棒に入られるかもしれないよ」と言う。隣家の主人も、まったく同じことを言いました。実際、その忠告どおりになって、泥棒が入ります。するとその金持ちは、息子を賢いとほめたのですが、隣家の住人に対しては、怪しいと、泥棒の嫌疑をかけたというのです。

 

 

 

同じことを言っても、一方はほめられ、一方は疑われる。絶対的な真実などないという、シビアすぎるほどの相対主義です。しかもこの金持ちは、隣人よりも息子のほうを信じてはいますが、絶対的に信じているわけでもありません。もし自分と息子の利害が対立すれば、今度は息子を疑うでことでしょう。

 

 

 

つけあがると失敗する

 

 

また仮に、信頼関係が成立することがあっても、それが永続する保証はまったくありません。利害が対立すれば、そんなものはたちまち踏みにじられてしまいます。

 

 

たとえば、こんな話があります。

 

 

 

子という少年が、衛というの君主(衛君)の寵愛をほしいままにしていました。母親が病気になったとき、子は許可も得ずに主君の車を使いました。これは足斬りの重罪にあたるのですが、あとでこのことを知った衛君は「足斬りの罪を犯してまで母の命を救おうとするほど、あいつは親孝行者だ」と言って、ほめました。

 

別のときには、桃を食べたらあまりおいしいので、食べかけの桃を衛君にすすめます。衛君は、「こんなおいしい桃を全部自分で食べないで、私に譲ってくれた」と言って、喜びます。

 

しかし、子の容色が衰え、寵愛が失われると、衛君はこの二つの出来事を持ち出して激怒するのです。「こやつは、むかし、おれの命令だといつわって、おれの車に乗ったし、また、おれに食い残しの桃を食わせた」。

 

 

 

 

逆鱗に触れるな

 

 

以上の話に関連して、韓非子は有名な“逆鱗”のたとえ話を出します。

 

 

 

「いったい竜という動物は、馴らして乗ることはできる。だが、その喉の下には経一尺ばかりの逆鱗がある。もしこれに触れる者があったらかならず殺される。君主にも逆鱗がある」(『韓非子』)

 

 

 

“君主”というところを、“権力者”とか“上司”とかに置き換えて考えてみればいいでしょう。韓非子は、相手の逆鱗にだけは触れるなと、強く警告しています。これは、どんなに人と友好的な関係を取り結ぶことができたとしても、つけあがると失敗するよ、という、忠告として読むことができます。

 

 

筆者自身は、ここまで辛らつな人間観に組する気持ちはありません。しかし、韓非子流の人間観は、鋭く一面の真理をついているということも、しっかりと認識しておきたいものです。

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