教育業界の常識にQuestionを投げかけるメディア

創考喜楽

2020.03.26
KNOW-HOW

第2回:
人間を知れば、ビジネスも人生もうまくいく!?


職場や町、店頭で直接対面する場合はもちろんのこと、電話やインターネット、手紙、文書などを通してのやり取りの場合も、親疎の差はあれ、さまざまな人たちとの間にコミュニケーションが交わされています。そのため、人間社会では、人間との出会い、交際、意思疎通、応接などが、私たちの日々の暮らしの最も大きな部分を占めているといっても過言ではありません。

 

 

したがって、どんな時代になっても、いかにテクノロジーやメディアが変貌、進化を遂げようとも、この人間社会にあっては、対人関係に強く、人間を知り抜いた“人間通”になることが、「成功」と「幸福」をつかむための最強の条件でありつづけるのです。

 

 

そんな人間通のひとりとして、中国古代、春秋戦国時代の強国“越”の人物、范蠡(はんれい)を挙げましょう。

 

 

 

 

 

 

臥薪嘗胆して宿敵呉を滅ぼす

 

 

中国、春秋戦国時代の強国“越”は、国境を接して宿敵“呉”と対峙。長年にわたる呉越の戦いの苛烈さは、“臥薪嘗胆”の故事で後世にも知られています。この戦いで、越はいったん、呉の軍門に降り、越王勾践は殺されかけますが、范蠡が賄賂をバラまいて主君の命を救います。そして、勾践と山にこもって、ひそかに軍備増強をはかり、20年後、ついに復讐を遂げるのです。

 

 

越が呉を征したとき、今度は呉王が助命を乞うのですが、ここで范蠡の真価が発揮されます。彼は躊躇する越王(勾践)に強く具申し、鍬王夫差を自殺させるのです。後顧の憂いを断ち切るための献策でした。范蠡はけっして冷酷な人間ではありませんが、こうした勘どころでの判断は実に適切で、自信にあふれています。

 

 

危機を未然に防ぎ、富豪になる

 

 

このように“人間通”ぶりを遺憾なく発揮した范蠡ですが、彼が真骨頂をみせるのは、むしろそれ以後です。『十八史略』には次のようにあります。

 

 

 

越すでに呉を滅ぼす。范蠡之を去る

 

 

 

越は宿命の戦いに勝ちました。その後に行われる論功行賞では、范蠡が殊勲甲であることは間違いありません。ところがまさにそのとき、范蠡は恩賞など見向きもせず、越の国から離れるのです。なぜでしょうか?

 

 

范蠡は、太夫(家老)の種に宛てた手紙の中で、その理由を次のように述べています。

 

 

 

越王の人相は、頸は長く、口は烏のくちばしのようにとがっている(いかにも残忍である)。苦難をともにすることはできるが、安楽をともにすることはできない。貴公はどうして早く去らないのか。

                                  『十八史略』

 

 

 

手紙を読み、種はあわてて逃げようとしますが、間に合わず、謀反の疑いをかけられて、自殺に追い込まれてしまいました。虎口を脱した范蠡は、斉の国へ赴きます。彼には事業家の才があり、大富豪になりました。また推されて斉の宰相になります。

 

 

しかし、この男はどんなに成功しても、思い上がったり我を忘れることがありません。彼は自分の名声がとどろくところに不吉の兆しを見、宰相職を辞し、築いた財産を、すべて人々にあげてしまいます。自分はわずかばかりの宝玉を身につけ、ひそかに斉の国から去るのです。

 

 

結局、范蠡は陶の国に落ち着き、陶朱公と名乗ります。ここでも再び成功し、巨万の富をつかんだのでした。そんな成功も、元をたどれば、彼が人間通だったことに帰結しています。

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