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創考喜楽

2020.06.05
KNOW-HOW

第9回: 自分の地位を守るため、邪魔者は叩きつぶす
人間に潜む「権力欲」について


今回は、「権力欲」について触れたいと思います。権力欲とは字のとおり、権力を持ちたいという欲求のことです。これは、人間の持つ最も社会的で個性的な欲求であり、あくなき情熱であることは、政治の世界が何よりもよく教えてくれます。

 

 

権力欲の特徴

 

 

 

 

まず初期の段階において、権力欲は、人を権力の獲得ヘと駆り宣てます。しかし、権力の獲得は、権力欲の一部にすぎません。権力欲には、権力を握ったらその権力をより強大なものにすること、権力の基盤を固めること、権力を握り続け、末来永劫、子々孫々にまでそれをほかに譲り渡さないことまで、すべて含まれます。

 

 

したがって、権力欲にとりつかれた人間は、いつまでも権力に執着します。そういった状況だと、まったく気の休まるひまがありませんが、しかしそれこそが、その人間の存在証明なのです。
たとえば、権力者が自分の地位をゆるぎないものにするためには、自分の地位を脅かすものやライバルを叩きつぶす必要があります。これは、古今東西、一貰した権力者の論理です。邪魔者はどんなことをしてもつぶすという執念は、多くの権力者に共通して見られるところです。

 

 

自分の権力を脅かすものを排除する手段として、次のような手段があります。左遷する。中傷し、汚名を着せる。スキャンダルをバラす。実権を剥奪する。閑職にはじきとばす。仕事の失敗の責任をとらせる…、などなど。しかしその本質は、みな同じ、自分にとっての邪魔者を排除する、ということです。
フランクリン・ルーズヴェルトのようなさわやかな大統領でさえ、在職中には、重要な情報はすべて自分が握り、副大統領のトルーマンにはまったく教えなかったといいます。一国の首相が、後継者候補をいじめ抜き、くやし涙を流させるという話も、実際に伝えられています。こういったことはすべて、権力欲のなせるわざでしょう。

 

 

 

権力の落日と残照

 

 

権力欲は、権力の追求に始まって、権力の獲得→より大きな権力ヘの志向→権力の維持→権力の弱体化→失墜→消滅という、人間的なドラマをつむぎ出します。そしてまた、ドラマである限り、いつか終わりは忍び寄ってきますし、あるいはロベスピエールの没落のように、一気に終幕がやってくることもあります。

 

 

権力欲の最終段階として、人は、権力が砂のように自分の指の間からこぼれ落ちていくことヘの恐怖から、ありったけの力をふりしぼって権力を自分につなぎとめようとします。
もともと権力とは、象徴や記号にすぎません。本人のカリスマ性や“後光効果”が、実質以上にその人間を権力者に見せるという側面もあります。逆にそういうものが失われると、今度はつるべ落としの秋の陽のように、権力は急転落下し、坂道を転げ落ちていきます。その意味で、権力を失いつつあることヘの恐怖感、また、権力が自分から失われるということヘの必死の抵抗こそ、権力者が最後に見せる残照であり残影なのです。

 

 

その例としては、中国の毛沢東が晩年、外国人記者に取材を受けたときのエピソードが印象的です。
毛沢東は見た目にもすっかり老いており、取材の合間も側近が片ときも離れず、宣ったり歩いたりするときは、両側から身体を支えます。それぐらい弱っていました。
ところが、最後にカメラが毛沢東を撮影しようとしたら、彼はいきなり側近を突きとばし、シャンと宣ってカメラにおさまったのでした。あくまでも自分の醜態をさらしたくない、という、この権力者の行動は、権力にとりつかれた人間の凄みを感じさせます。しかし毛沢東ほどではなくても、人間の中には、権力欲という名の「悪魔」が潜んでいるのです。

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