- 2020.04.13
- KNOW-HOW
第4回:
人間の素質はどうやって決まる?
“才能”についての考え方
ときに人間は、「素質がある」とか「才能がある」とか、個々人の元来の性質について言及をします。では、一人ひとりの個人が有する性格やあれこれの基礎能力のたぐいは、持って生まれた固定不変のものなのでしょうか。それとも、人が置かれたさまざまな環境のもとで、形成され、変化していくものなのでしょうか。今回は、この考え方について見ていきます。
環境決定論と資質決定論
たとえば、マルクスの経済学説では、“環境”が精神(心)を規定すると考えます。これは“環境要因”を重視する「環境決定論」といえます。一方、19世紀末に発達した遺伝学によれば、性格にしろ能力にしろ、親から遺伝子を通して伝えられた先天的な資質である、ということになります。こちらは、環境要因よりも“資質的要因”を重視する「資質決定論」です。
よく引き合いに出される例ですが、ドイツの音楽家バッハの一族は、音楽家を数多く輩出していることで有名です。家系図をみてみると、6代の男子だけに限っても、39人もの音楽家が生まれています。この例をみると、資質決定論が優勢に思えてきます。また、わずか5歳ではじめての作曲を行ったというモーツァルトの神童ぶりなどを考えてみても、彼の天才的な才能は、持って生まれた資質ではないかと考えたくなります。それに加え、今日の分子生物学は、DNAの解析に成功、遺伝子の仕組みや内訳も明らかになっています。とすると、資質決定論の勝利で決まり、ということになるのでしょうか?
しかし、ちょっと待ってください。環境決定論者(環境要因優位説)側の言い分を聞いてから結論を出すことにしても、遅くはありません。そこで、まずはこんなことわざを紹介しましょう。
「門前の小僧、習わぬ経を読む」
ご存知でしょうか。常に見たり聞いたりしていれば、知らず知らずのうちにそれを学び知るようになる、ということのたとえで、環境がその人に与える影繹は大きいということをよく示しています。また、バッハ一族の例についても、周りに音楽に親しむ人やそれを職業とする人がいる“環境”が、大いに作用したとも考えられないでしょうか。
同様に、神童モーツァルトだって、やはり音楽家だった父親による徹底した英才教育がなければ、彼の才能は花開かなかったかもしれません。時代が時代ですので、周りに音楽を教える人や楽器がなければ、音楽に触れることなく人生を終えていた可能性も、十分に考えられます。
学習という要素、資質・環境融合論という考え方
ここで心にとどめておきたいのが、いわゆる“学習”(一環境要因)の果たす役割の大きさです。“努力”という人間的行為についても同様なことがいえます。
すでにみてきたとおり、他の動物に比べ、末熟な状態で誕生する人間は、そのぶん、学習によって後天的に身につける部分がとても大きいといえます。つまり、資質的な条件は、あらかじめDNAの中に書き込まれ、指定されていたとしても、学習あるいは努力の助けがなければ、設計図どおりにはいかないことがほとんどです。
このように考えていくと、多少の個人差はあっても、資質要因と環境要因は、ある割合で交じり合い、溶け合っていると考えるべきでしょう。それは、「資質決定論」でも「環境決定論」でもなく、「資質・環境融合論」というべき考え方であるといえます。
もちろん、資質がまったく無関係ということでもありません。センスや能力の間題で、いつまでたっても“お経”を読めぬ“門前の小僧”もたくさんいるわけです。しかし、だからといって、性格や才能は生まれつき決まっており、変えようがないとかたくなに考える必要は、まったくないのです。