「なぜ数学を学ばないといけないのですか?」と聞かれることがあります。とりあえず私は「数学を必要とする職業はたくさんありますよ」と実用的な答えを返してみるのですが「でもそういう職業に就かなければ役に立ちませんよね?」と言われてしまいます。確かに数学ができなくても生きていけないわけではありません。しかしだからといって数学というものを自分の人生からバッサリ切り取って、どこかへ放り投げてしまうのはやはりもったいないように思います。実際私の人生はずいぶんと数学に助けられて来ました。そこで初回は「なぜ数学を学ぶのか」についてハチの巣を例にとって考えてみようと思います。

 

ハチの巣穴は正六角形を隙間なく並べた構造をしています。これはハニカム構造(honeycomb structure)と言って、名前の由来はまさしく蜂の巣から来ています。なぜ彼らの巣は丸でも正方形でもなく、正六角形なのでしょうか?

 

そもそも平面に隙間なく敷き詰める(空間を無駄なく使う)ことのできる正多角形は正三角形と正方形、そして正六角形しかありません。理由は簡単です。隙間なく詰めるには下図のように内角を合わせたときの合計が360度になる必要がありますが、そのためには一つの内角が360の約数でなければなりません。正多角形の1つの内角は60度以上180度未満であり、その中で360の約数を持つものが正三角形(60度)、正方形(90度)、正六角形(120度)の3つしかないのです。

 

 

 

しかしそれだったら三角形や正方形でもいいのではないか?と思われるかもしれません。確かに物理的な視点で見ると、丈夫さの点で三角形の方が優れています。また私たちの感覚的には、正六角形は複雑で、正方形の方がよほど簡単に作れそうな気がします。ところが点と線の関係に注目するとそれが間違いであるとわかります。一点から伸びる線の数を数えてみましょう。正六角形が3つ、正方形が4つ、正三角形が6つとなります。

 

 

 

つまり蜂の巣の継ぎ目部分(点)から伸びる壁(線)は正六角形の場合が最小となるので、点と線の関係で考えたとき、最も単純な構造になるのが正六角形であり、ハチにとっては正六角形が最も作りやすいのです。正方形の方が簡単に作れそうに見えるのは、私たちがノートに鉛筆で図形を描くときの感覚で考えているに過ぎません。

 

正六角形の利点はそれだけではありません。同じ面積の図形において周の長さが最も短くなるのが円なのですが、正六角形は非常に円に近い形をしているため、同じ空間を作るときの壁の長さが3つの正多角形の中で最短になります。そのためハチは最小の材料と労力で巣を作り上げることができるのです。このように数学的な視点で考えるとハチが巣穴の形に正六角形を採用したのは合理的かつ当然の帰着なのです。

 

 

「私が数学をやってきて良かったと思う最大のことは、何かについて考察するときにすごく便利な視点が一つ増えたことですね」とハチの巣の話をした後に、私は言います。

 

世界遺産のナスカの地上絵はあれほど巨大であるにも関わらず1939年まで発見されませんでした。それは私たちが空の視点を最近まで獲得していなかったからです。おそらく鳥たちは私たちが知るずっと昔からその存在を知っていたことでしょう。しかし空からの視点は地上絵を見つけることができる一方で、地を這うアリを見つけることはできません。重要なことは視点を複数持つことです。そうすればものごとをより多角的視点で捉え、考察することが可能になるのです。

 

特に数学は学問の中で哲学と並んで最も抽象度が高い学問です。世の中の全てのものが何らかの形で数を内包しています。ですから数学的視点はほとんど全ての対象に対して応用し役立てることができます。数ある視点の中でもトップクラスの利便性と汎用性を持った視点と言えるでしょう。

 

もちろん必要とする視点は個人差があり、それぞれが必要だと思う視点を身につけていくのがベストです。それでももし当連載を通して少しでも皆様が数学に興味を持ち、数学の織りなす調和と美の一端に触れてみたいと思って頂けたならば、筆者としてこの上ない喜びです。

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