「T.G.I.Friday’s」という米国のカジュアルレストランチェーンをご存じだろうか。それっぽいバーカウンターが店の中心に据えてあり、大人がアルコールを楽しむことのできるカジュアルなレストランとして米国では広く認知されている。居酒屋的に酒のつまみが揃ったメニューと大衆的な価格で気楽に一杯やれるので、米国では会社帰りのビジネスマンなどにも人気の店だ。日本ではワタミが都内で数店舗ライセンス運営しているので、経験している方がいるかもしれない。
「T.G.I.Friday’s」という風変わりな店名は「Thank God Its Friday」という米国で良く使われる慣用句を省略した言い方だ。つまり「神様ありがとう!ようやく金曜日がやってきた」という意味。辛く長かった月曜日からの労働の日々を何とか無事に過ごし、ようやく明日は週末の休みを迎えられる。だから金曜日の夕方にはまず乾杯しよう!という意味である。そんな辛い平日を過ごす人たちがこの店のターゲットだ。
さて、エンプロイー・エンゲージメントにおける究極の目標は、自社の社員達が「T.G.I.Friday」ではなく「Thank God Its Monday」と感じてくれるようになること。すなわちすべての社員が月曜の朝、やる気に満ちた活き活きとした笑顔で気持ちよくオフィスのドアを開けてくれるような状況が生まれることだ。エンゲージメントのレベルが高い、という企業のイメージはまさにこれ。しかし言うまでもなく、それは決して簡単なことではない。
エンゲージメントを構成する要素はいろいろあるが、中でも大きな部分を占めるのが仕事に対するモチベーションの高さである。もちろんそれだけではないが、モチベーションのないエンゲージメントはあり得ない。ただしモチベーション以外の様々なエンゲージメント要素が充実することで、モチベーションが上がる、ということもあり得る。
社員のエンプロイー・エンゲージメントがどのレベルにあるのか、多くの企業において調査が行われている。しかしエンゲージメントを計る調査手法自体まだ確立されているわけではないので、導き出された結果が必ずしも現状を正しく描き出しているとは限らない。それを前提とした上で、こうした調査からちょっと面白い副産物が出てくることがある。たとえば、企業幹部やマネージメント、そして一般社員との間には、モチベーションに関してしばしば大きな誤解がある。
企業上層部を対象に行われる調査からわかるのは、彼らの部下たちを動機付ける最大最良の要素は給料など外的なインセンティブ、と信じていることだ。一方で幹部自身は、自分たちは一般社員とは違い、自律性など内的要因によって強く動機付けられていると考える傾向がある。ところが社員を対象に行われる、彼らの上司、つまり企業の幹部社員に関する調査から見えてくるのは、これとはまったく正反対の結果である。
景気が良く予算が潤沢にあった時代、企業幹部たちは、社員がやる気をなくしていると感じられるような場合、社員に十分な経済的インセンティブを与えたり、昇級・昇進というご褒美を与えることで対応してきた。あるいは、対応できていると考えていた。ところが状況はすっかり変わってしまい、予算もなく、昇進の可能性も少なくなった現在、どのように社員達のやる気を引き出したらいいのか、これまで蓄積してきた社員操縦のノウハウからその方法を見つけ出すことができないため、彼らは悩んでいる。
前述したように多くの企業幹部は、社員のモチベーションは昇進や昇給という、いわば「ご褒美」を社員に与えたことの結果と捉えている。しかし、もしもそうであれば経済状況が悪くなった場合にはモチベーションも比例して下がってしまう、ということになるのではないだろうか。実はこのように、社員のモチベーションと給料が切り離すことのできない一つのセットとして考えられていることにこそ、大きな問題が潜んでいると考えられる。
その結果、社員達が日々の仕事に対して継続的に努力したり、会社や仕事との絆を作り上げたりすることに関して、本来そこに確実に存在しているはずだが表面的に露出することのない、もっと重要な要因が見えなくなっているのだ。
面白いのは、そうした企業幹部に対して、彼ら自身のモチベーションがどこから生まれてくるのか質問すると「自分たちは仕事に関して自律性が確保されているので、まるで無数のパズルを自由に組み合わせて問題を解いていくように楽しく仕事をしたり、たとえストレスフルな仕事であっても優れた人々と協力して困難に立ち向かうことで満足感を感じている」などと答えていることだ。ところが彼らは自分たちの部下のモチベーションがどうやって高められるのかということに対しては、給料と昇進という外部要因が強く影響していると信じて疑わないのだ。
ジョージ・メイソン大学では過去40年間、何が社員のモチベーションに強く影響するかという調査を継続して行ってきた。しかしこの40年もの間、研究の対象とされてきた企業上層部とその社員たちの答えには大きな変化は見られないことが報告されている。
幹部に対して、社員達を動機付ける主な要素は何かと質問すると、ここでも給料、職の確保、昇級といった外的要因があがってくる。逆に社員に対して同じ質問をすると、興味を持てる仕事、組織への貢献に対する認識の度合い、意思決定への関与など内的な要因が多くあげられるのだ。社員達が言いたいのは、幹部たちの彼らに対する認識は間違っているという単純な事実だ。彼らも幹部たちと同じように、内的な要因によって強く動機づけられているのである。
デューク大学においても興味深い研究が行われている。ここでは組織の中で様々なレベルの社員を対象とするのと同時に、その同僚、そして上役に対して、何が彼らを動機付けているかという質問を行っている。ここでもほとんどのケースにおいて、自分自身が外的要因によって動機付けられている以上に、同僚や上役は外的要因に強く影響されている、と答えているのである。
こうした結果から、大学の研究者たちは調査対象者の答えには常にいくつかのバイアスがかかっているということに気付いた。ここで言うバイアスとは、つまり被験者のそれまでの人生において積み上げられてきた経験に基づくある種の常識だ。組織の上部と下部のように立場の違う位置にいる人間は、それぞれ異なった動機によって行動する、と推測してしまう思考回路と言っても良いだろう。このバイアスのせいで、社員も幹部もお互いを正しく理解できない、という現実が生まれている。
モチベーションに対するこの「相互誤解」とでも言うべき現象は、企業のリーダーたちの人事面での意思決定を誤らせる結果につながってしまう。また組織が目指しているゴールに対して、社員の信頼感を失わせることにもなりかねない。さらには上層部や組織に対する社員の信頼感すら失わせてしまう。
この問題について、企業トップへのコーチングなどを専門とするコンサルタントのデビッド・フェイサー氏は、「互いの誤解によって状況を悪化させないための最も良い方法はきわめてシンプルだ。組織における地位や身分に関係なく、どんな人間も自分と同じように動機づけられて行動している、と考えてみること。」と語っている。
そして「共感、信頼、お互いに向けられた楽観的とも言える信念は、それぞれの日々の仕事体験をより豊かにするための新鮮なチャンスを与えてくれる。またそれは企業のエグゼクティブたちが発する、どのような方法で社員のモチベーションをあげるべきかという問いに対する明快な答えにもなっているし、何よりもビジネスにきわめてポジティブな可能性を創り出す。」とも言っている。
シンプルではあるけれど「相互誤解」を乗り越えて「相互理解」を実現し「相互協力」できる環境が生まれることが、エンプロイー・エンゲージメントのレベルを高めることにつながってくる。しかしそれを実現するためには大きな勇気が必要だ。長い時間を経て凝り固まってしまった常識を破壊するためには、その先にあるものを信じる強い心が必要だ。そこに踏み出す勇気を持てるかどうか、それがより高いエンプロイー・エンゲージメント達成への第一歩となる。
コーチングの専門家David Facer/デビッド・フェイサー氏のブログ