めざましい経済発展を続ける東南アジアの国々は、旅行先としても身近で人気が高いのですが、「え!? そんな国に行ったことがあるのですか」と驚かれる国が2つあります。それは東ティモールとブルネイ――。ブルネイはともかく、東ティモールについては、国名さえ知らない人のほうが多いのではないでしょうか。
正直、東ティモールとブルネイに万人受けするような有名観光地はありません。しかし、現地を訪れてみると、観光地にはない素朴な魅力を感じることができ、貴重な経験となりました。他のアジアの国とはひと味違う、未知なる2つの国を紹介してみたいと思います。
まずは東ティモール。この国の歴史を振り返ると、いかに争乱ばかりに翻弄されてきたかが分かります。1701年にポルトガルがティモール島の全島を領有したのを皮切りに、ポルトガルとオランダによる東西分割領有、第二次大戦中には日本軍が占領、最終的にはインドネシア政府の併合宣言という経緯を辿りました。インドネシア支配下では、ティモール人大量虐殺事件などもあって独立の気運が高まり、2002年5月、ついに東ティモール民主共和国が誕生。東ティモールは21世紀最初の独立国として歴史に名を刻むこととなりました。その後も混乱は続いていますが、着実に国づくりは進み、最近は豊かな大自然や伝統的集落を訪ね歩くトレッキングツアーが好評なのだとか。この先、観光資源が整備されれば、「危険な国」というイメージは薄らいでいくかも知れません。
バリ島経由で僕が訪れたのは、まだ独立して間もない頃。首都ディリには国連の治安維持部隊などが駐留していました。しかし、街の雰囲気は田舎町のようにのどかで、首都という言葉が似つかわしくないほど。当てもなくブラブラ散歩していると、美しい海岸線が現れ、海岸沿いの道では、地元の人たちが茣蓙を敷き、日用品や食料品を商っていました。ヒマそうにタバコをふかしている男の足元を何気なくみると、白く輝くピンポン玉大の卵が並んでおり、「何か」と聞くと、「sea turtle(ウミガメ)」と言うではありませんか。ウミガメといえば、涙を流しながら産卵する感動的なシーンが思い出されます。「そんな希少な動物の卵を食べていいのか!?」――。困惑しつつも食べてみたい衝動に駆られたのですが、生卵を持ち帰っても仕方がないので、じっと眺めることしかできませんでした。 物売りの男は「うまいぞ」としきりに勧めてくれたのですが。
ディリでは政情不安を感じなかったものの、ちょっと郊外に出れば危険な紛争地域がたくさんあるらしく、ゲストハウスの主人に「絶対にディリ以外には行くな」と忠告されていたので、3日間の滞在中は同じコースを散歩するのが日課に。青い海とウミガメの卵をただ眺め続けるだけの時間は、平和のありがたさを噛みしめる機会にもなり、僕にとって東ティモールの思い出のすべてとなりました。ちょっと後悔しているのは、ウミガメの卵をゲストハウスに持ち帰ればよかったということ。きっと、おかみさんが何かおいしい料理を作ってくれたはずなので……。
ブルネイのほうは、ボルネオ島(マレーシア)のミリという町から陸路で入国しました。
東ティモールほどではないにせよ、日本人にはあまり馴染みのない国ですが、日本との結びつきは深く、最大の貿易相手国となっており、対日輸出品のうち天然ガスが9割以上を占めています。その天然ガスで潤っているため、国民の医療費は無料で、住民税や所得税も課税されません。苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に苦しむ日本とは大違いの羨ましい国なのです。
首都はバンダル・スリ・ブガワン。中心部に位置する白亜のスルマン・オマール・アリ・サイフディン・モスクは、大理石や御影石をふんだんに使い、インテリアもペルシア絨毯やヨーロッパのシャンデリアなど世界の一流品を集めた豪奢なモスクで、まるで「地上の竜宮城」といった感じでした。ちなみに、総工費は約500万ドルだそうです。このほか、イスタナ・ヌルル・イマン(王宮)、ジャメ・アスル・ハッサナル・ボルキア・モスクもまた、目もくらむような豪華さ。たった1日歩いただけで、貧乏旅行者はブルネイの豊かさに圧倒されてしまいました。
そんなブルネイで、数少ない心落ち着く場所のひとつが、広大なブルネイ川に浮かぶカンポン・アイールと呼ばれる大規模な水上集落です。王宮やモスクと違い、庶民の暮らしぶりが直に感じられ、ようやく「アジア」に戻った気分になりました。アジアの水上生活者と聞くと、貧しいイメージが付きまといがちですが、彼らは「庶民」ではあっても「貧民」ではありません。お宅を拝見すると、リビングは広く、立派な家電製品が揃っているのです。
ブルネイ滞在を終え、空路でマレーシアのコタ・キナバルに戻り、やっと「本物のアジア」に帰ってきた気がしました。