昨年の夏にベトナムを訪れた際、ベトナム北部の田舎町ドンダンから中国・広西チワン族自治区の憑祥へ徒歩で入国しました。この国境越えは外国人にとってもメジャーなルートで、前半はすこぶる順調だったものの、後半は思いがけずハードな展開に。タイトルにあるように、ベトナム籍の華人が窮地を救ってくれたのですが、今回はそのエピソードを紹介したいと思います。。
中越国境の町ドンダンへ向かう列車が発着するのは、ハノイ駅ではなく、ザーラムという下町にある小駅です。市内中心部を離れ、ホン河の長い鉄橋を渡り、ごみごみした庶民の活気あふれるエリアに入ると、完全にベトナム人だけの世界で、外国人観光客はまず目にしません。そのザーラムの町はずれに粗末な駅がありました。オンボロのローカル列車とはいえ、一応は中越国境へ向かう列車の始発駅なのですが、待合室に入ると、野良犬がいぎたなく寝そべり、天秤棒を担いだ行商のおばさんがヒマそうに欠伸をしているような駅なのです。
ドンダン行きは早朝6時発なので、駅の近くで1泊することにしました。1軒しかないうらぶれた感じのホテルは中国系の資本らしく、フロントの華人女性が中国語で話しかけてきました。僕は中国語が分かるので、むしろ会話がスムーズに成立したのですが、彼女は僕を中国人と思い込んでいたようです。「国境を往来する中国人しか泊まらないホテルに、まさか日本人が来るとは」と驚いていました。
ドンダンまでは約7時間の汽車旅。「ずいぶん遠い国境だな」と思われるかも知れませんが、距離は200キロほどですから、要はとんでもなく遅いのです。のどかな農村風景を眺めながらの旅は楽しく、ドンダンに着いたときは、まだ乗り足りない気さえしました。これくらいの速度が、ちょうど身体にあうリズムなのでしょう。急ぐ用事でない限り、新幹線の7時間のほうが苦痛に感じると思うのですが。
ドンダン駅のホームには、大量の荷物が山積みされていました。その大部分が中国製品で、現在の両国の力関係を象徴するような光景でした。何もない駅前で目に入るのはバイクタクシーのみ。善良そうな運転手を選び、「ボーダー」と告げると、「OK」と笑顔を返してきたので、安心して後部座席に跨りました。バイクを走らせること10分余り。運転手が前方の簡素な事務所を指さし、「ボーダー、チャイナ」と告げたので、「カムオン(ありがとう)」と言って降りると、そこは大型トラックが集まる殺風景な場所で、イメージする国境の雰囲気ではありません。案の定、イミグレーションでパスポートを差し出しても、職員は困惑した表情で「NO、NO」と首を振るばかり。こういうときに言葉が通じないと、本当に不安になるものです。どうやら地元の人だけに開放されているローカル国境に来てしまったらしいのですが、よりによって外国人をこんな場所に連れて来るとは……。もっとも、ドライバーに悪意はなく、中国人と間違われたのかも知れませんが。
英語が通じる相手もおらず、すっかり途方に暮れていたところ、そこに颯爽と登場したのが、冒頭で触れた華人女性でした。40代主婦とおぼしき女性は、スクーターのエンジンを切ったあと、「どうしたの」と声をかけてくれ、僕が中国語で事情を説明すると、「乗りなさい」と僕の腕を引き寄せました。頼もしいことこのうえなく、まさに「地獄で仏」です。話を聞くと、彼女はベトナム生まれで、祖父の代に一家で中国から移住してきたとのこと。「だから中国語は苦手なの」と苦笑していましたが、多少なりとも言葉が通じるありがたさを噛みしめました。
緑の濃い山道を10分ほど走ると、視界の先に、さっきのボーダーとは比較にならない立派な建物が現れ、中国人ツアー客が列をなして歩いているのが見えました。「あれがボーダーよ」とつぶやくと、彼女はすぐさま立ち去ろうとしたので、慌てて数枚の紙幣をポケットに押し込んだのですが、なかなか受け取ってくれません。ひとしきり押し問答があったすえ、最後は彼女が折れ、はにかんだ表情を浮かべながら、来た道を戻っていきました。
ようやく辿りついた国境は「友誼関」。中国とベトナムの間には長い紛争の歴史があり、「友誼関」という名称にも政治的な深謀遠慮が投影されているのですが、「友誼」の文字に、困り果てた旅人を助けてくれた華人女性や、この旅で出会った多くの親切なベトナム人の顔が浮かんできたのでした。