教育業界の常識にQuestionを投げかけるメディア

創考喜楽

Vol.1 金子光晴の愛した町で詩人気分 (マレーシア)

東南亜細亜01 COLUMN

 

 

 

東南アジアを歩くようになったのは、学生時代に出会った1冊の本がきっかけでした。その本とは、放浪詩人・金子光晴の名著「マレー蘭印紀行」。抒情的な文体のなかに、アジアの熱気がリアルに描写されており、人々の喧騒や食べ物の匂いまでが伝わってくるような感覚に興奮を抑えきれず、アジアへの憧憬を募らせていきました。その後、アジアを旅するときには、いつも鞄に「マレー蘭印紀行」が。もう文章を諳(そら)んじることができるくらい何度も何度も読んでいるのですが、安宿の薄暗い部屋に腰を落ち着けると、ついつい金子ワールドが恋しくなってしまうのです。

 

しかし、金子が最も愛した町――マレーシアのバトゥ・パハだけは訪れる機会がありませんでした。バトゥ・パハは首都クアラルンプール(KL)からもシンガポールとの国境ジョホール・バル(JB)からもアクセスがよく、快適なバスで2~3時間ほど。にもかかわらず、なぜ足が向かなかったかというと、「温存しておきたかった」からで、要するに、自分の意思で足を向けなかったのです。

 

そのバトゥ・パハへ、今年2月、ついに行ってきました。きっかけは、3月から本コラムの連載がスタートするのにあわせ、ぜひ初回に紹介したかったからです。
前日までの雨も上がり、爽やかな青空に恵まれた週末、中国人観光客で雑踏するJBのバスターミナルを出発した高速バスは、大規模な油ヤシやゴムのプランテーションのなかを快走し、2時間余りでバトゥ・パハのバスターミナルに到着しました。

 

バスターミナルの周辺は、ありふれた田舎町の風情で、正直ガッカリ。が、バトゥ・パハ川沿いの道まで出ると雰囲気が一変し、熱帯の生暖かい風に乗って、金子が大好物だったという「芭蕉(ピーサン)」の香りが漂ってきました。「芭蕉」はバナナのこと。沿道には掘立小屋のようなバナナ屋があり、じっと眺めていると、店のおじさんが微笑を浮かべながら1本差し出してくれました。ねっとりと熟した果肉には、濃厚な甘さのなかに程よい酸味も残っていて、このバナナの味だけは金子とまったく同じ体験を共有しているのだなと思うと、感慨深いものがありました。

 

以下は「マレー蘭印紀行」のなかのバトゥ・パハに関する一節

 

――バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街すじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊(カキ・ルマ)のある家々でつゞいている。森や海からの風は、自由自在にこの街を吹きぬけてゆき、ひりつく緑や、粗暴な精力が街をとりかこんで、うち負かされることなく森々と繁っている。――

 

さすがに金子がいた時代(昭和3~7年)と今では街並みは大きく変わっているものの、金子が常宿にしていた旧日本人クラブの建物は健在でした。ただ、主を失って久しいようで、館内に人の気配はなく、いまや小鳥の巣窟に。ピィピィピィ、ピィピィピィ――けたたましい囀(さえず)りが、静かな一角に唯一、活気を与えていました。

 

旧日本人クラブの向かいは岩室茶室があった場所。残念ながら建物は残っていませんが、金子はこの茶室で毎朝、バナナとパンの朝食を所望し、ぼんやりとバトゥ・パハ川を眺めていたのです。金子といえば、徹底した反戦主義者の顔も持っていました。当時の日本は、軍国主義の道を猛進していた殺伐とした時代。そんな時代だからこそ、惰眠を貪るだけのバトゥ・パハの気楽な生活がいっそう心地よかったのかも知れません。もっとも、バトゥ・パハの繁栄を支えていたスリ・メダンの鉱山開発が日本人入植者の手によって進められ、日本の軍事産業に少なからず寄与していた側面があるのは皮肉な話ですが。

 

旧日本人クラブの周辺は、時間が止まったかのような静かなエリアで、積年の風雨に耐えてきた老朽建築が異彩を放っていました。ひょっこり金子が現れそうな建物もあり、こんな空間に身を置いていると、金子にあやかり、自分も美文が書けるのでは、という気持ちになるのが不思議です。

 

旅心を大いに刺激され、詩人気分に浸りつつバスターミナルへ戻ったのですが、そこで一気に現実に引き戻されました。バトゥ・パハ散策のあとはバスで1時間半ほどの世界遺産の街マラッカへ出て、マラッカ海峡に沈む夕日を、というのが当初の計画でした。ところが、午後のバス(かなりの本数がある)はすべて満席で、1枚もチケットが買えなかったのです。鉄道のチケットが取れないことは日常茶飯事ですが、これまでローカルバスに乗れなかった経験などありません。バス会社のマレー人女性は「ちょうど旧正月中で、中国人が多いから」と気の毒そうに首を振るばかり。そういえば、KLでもJBでも中国人観光客が異常なまでに溢れていました。旧正月とはいえ、あまりにも多いので不審に思い、JBのバスターミナルで雑談を交わした中国人に事情を聞くと、「今、日本との関係が悪くなっているでしょう。だから、連休中に日本へ行く予定だった人が、みんなタイやマレーシアに来ているのですよ」と教えてくれました。不毛な尖閣騒動が脳裏をよぎり、せっかくの詩情も台無しではありませんか――。

 

どうにかJBへ戻るチケットを確保し、悄然とバスに乗り込むと、ほどなく凄まじいスコールに見舞われました。スコールというものは、濡れない場所から眺めるぶんには爽快このうえありません。JBに着く頃には、沈んでいた気分が、きれいさっぱり洗い流されていました。 

連載一覧

Copyright (C) IEC. All Rights Reserved.