心臓が肥大してしまう拡張型心筋症という病気にかかった患者に対し、肥大した心臓の一部を切り取って縫ってしまうという、たいへん困難な手術をバチスタ手術という。この困難な手術を日本で初めておこなった医者がいる。「神の手を持つ男」と称される須磨久善医師である。
須磨久善医師は、海外で数々の手術を経験し、帰国してからも様々な壁にぶち当たりながらバチスタ手術を成功に導いていく。彼は、医者は自分たちの都合で患者を診断するものであってはならないと日本の医学界に痛烈な批判を浴びせている。本来患者がいるから医者が存在するというのが須磨医師の考えだ。
「医者は誰のためにありますか? 医者のためではなく患者のためでしょう。患者がいて医者がいる。その逆ではないのです」
あるインタビューで淡々と語る須磨医師の考えは、非常に明快だ。原理原則に立って考えているからだ。原理原則に立ち返り、自分の目的に素直に従って行動する。それがシンプルであればあるほど、強く毅然とした生き方ができるようになるのだ。
では、原理原則に立ち返るとはどういうことなのか。それは、自分の基本の立場を再認識することである。自分の基本の立場が分かれば、それに沿って行動すればいい。人は時に、周囲の雑音に惑わされ、何のために今を過ごしているのか分からなくなることがある。そんな時こそ、私たちは原理原則に立ち返るべきなのである。
私たちが須磨医師から学ぶべきことは、問題が複雑になってしまった時に「そもそも~は何のためにあるのか?」といった原理原則に立ち返る質問だ。何らかの問題に直面し、それを解決したいが糸口が見つからない時、まず投げかけてみたい質問である。
たとえば、年金問題。「そもそも年金は何のためにあるのか?」この質問に明確に答えられる人はどれだけいるだろう。政府はそれに答えられるだろうか。もしも答えられるならば、年金納付額を上げたり、対象者への支払いを間違えたり、あるいは滞らせたりすることが、どれだけおかしなことかが理解できるはずだ。
ビジネスでも原理原則に立ち返ることは大切なことである。たとえば、一連の食品の製造年月日偽装問題。「そもそも食品会社は何のためにあるのか?」この答えが分かっていれば、製造年月日の偽装など決して起きなかったはずである。いつかどこかで原理原則を忘れ、「自分たちの利益をどんな手段を使っても伸ばす」ことにすり替えてしまった、企業にとって深刻な問題なのである。
私たちは、「そもそも~は何のためにありますか?」「そもそも私たちは何のために~をしているのでしょうか?」「そもそもわが社は何のために~をしているのでしょうか?」といった質問で、自分自身の置かれた原理原則を認識し、常に意識しておかなければならない。