社会人には誰でもプライドがあります。社会人でなくてももちろんプライドはあるのですが、ビジネスの世界にはそれぞれ立場の違いがあり、はっきりした上下関係や微妙な上下関係、あるいは「この人には負けられない」といったライバル意識、キャリアや実績の違いといったものが複雑に絡み合って、プライドをつくっていきます。わかりやすい例を挙げれば、あなたと後輩の関係です。同じ社員であってもキャリアや実績はあなたが上、当然先輩としてのプライドが生まれます。
しかし、プライドは感情コントロールのうえで、非常に無駄な感情です。今回は、なぜプライドがマイナスの感情を生んでしまうのか、どのようにプライドと向き合っていくのがよいかについて学びます。
プライドにこだわると、自分の誤りを認めなくなります。目下の人間に指摘されたり教わったりすることも拒みたくなります。しかし、それでは感情が悪化してしまいます。過りを認めないのは悔しいからですが、意地を張ったところで悔しさが消えるわけではありません。それどころか、かえって不機嫌になります。生意気だとかでしゃばりだと思えば態度もよそよそしくなるでしょう。いわゆる「根に持つ」感情が生まれてしまうと、特定の人間にいつまでも悪い感情を抱き続けることになります。
これは何よりも自分が恥ずかしくなります。「正直じゃないな」とか「子どもみたいだな」とか「器が小さいな」といった恥ずかしさは、やはり感情を曇らせます。結局、つまらないプライドが自分の考えを狭め、感情を悪化させていることになります。すべて、その場で自分の過りを認めてしまえば問題のなかったことなのです。過りを認めることは、少しも恥ずかしいことではなく、それによって相手に優越感を抱かせることもなく、むしろ「気持ちのいい人だな」と思ってもらえたはずなのに、つまらないプライドが一瞬で感情を暗転させたことになるのです。
たとえば後輩社員に対しても、あなたのほうがキャリアが上なのですから、後輩はあなたを認め、わからないことは教わろうとし、あなたのアドバイスにも従おうとします。この事実で十分だと考えるべきであり、さらに自身の威厳を保とうとする必要はないのです。
自分より立場が弱い人間に対してはもちろんですが、同じ立場の人間に対してもプライドにこだわると、感情はどんどん悪化します。たとえば、知識の乏しい話題になると急に口をつぐんだり話を変えたりするような人や、わからないことがあっても相手に教わろうとしなかったり、苦手なことでも人の手を借りようとはしないような人です。
自分の弱みは見せたくない、他人に見下されるのは嫌、そういった気持ちの強い人も、感情を悪化させていきます。これは当然のことで、周囲に悟られないように振る舞う分だけ神経をつかいますし、意地を張ったり背伸びをすることも多くなるからです。知らない話題でも知っているふりをするのですから、疲れて当然です。「よく知らないから教えてよ」と言うだけで本当はすごく楽になれるし、人間関係にも気をつかわなくて済むのです。確かに私たちにはプライドがあります。それを捨てるわけにはいきません。
けれども、自分の優位性なんかにこだわらないで、知らないことは素直に教わり、誤りも率直に認める人のほうが、結果として周囲の人間に好感を持ってもらえます。立場が上の人間でもそういった素直さのある人は、尊敬されるでしょう。その人のプライドは十分に保たれるということです。
周囲の人に認めてもらうというのは、日々の感情コントロールにとって大事な条件です。しかしだからといって、「認めさせてやる」という態度や気持ちは逆に感情のコントロールを難しくするということは、ぜひ頭に入れておいてください。
したがって、日々の習慣として、いまよりほんの少し腰を低く構えてみることです。自分より年下の人間やキャリアの浅い人間、立場の弱い人間に対して、意識して丁寧に接することや話を聞く態度を心がける、彼らや彼女たちのほうが詳しそうな分野は教えてもらう、その程度で十分です。たったそれだけのことでも相手の感情が変化します。あなたに対していままでなかった親しみや好感が生まれます。
ここで「なめられるんじゃないか」とか「なれなれしくされても困る」とは考えないでください。それでは偉ぶりたい気持ちに戻ってしまいます。あなたのほうが上の立場なら、いまさら偉ぶらなくてもいいのです。こういったことは実行してみればすぐに確かめられます。周囲の人間に対してずいぶん楽な気持ちで接することができるようになるはずです。しかも好意的な態度を示す人間が増えてきます。それによって自己承認の欲求も満たされるのですから、日々の感情生活ははるかに明るいものになってくるのです。