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感情に関する豆知識

KNOW-HOW

 今回は閑話休題として、感情に関する小話や豆知識などを紹介します。直接的に普段の生活に活かせるようなことではないですが、メンタルヘルスのうえでの、何かしらのヒントを掴むことができるかもしれません。

 

 

 

① 笑顔は万国共通

 

 

 

 

 

 

 

 感情の中には、基本情動と呼ばれるものがあります。研究者によって呼び方に多少の違いはありますが、基本情動は以下の6つとされています。

 

 

 

「喜び」「怒り」「驚き」「悲痛」「恐れ」「嫌悪」

 

 

 

 基本情動は人間の脳、大脳辺縁系に最初から組み込まれた感情ですから、言葉や文化の違いといった大脳新皮質の世界より、はるかにダイレクトに私たちを理解させることができます。簡単に言えば、笑顔は万国共通ということであり、笑顔だけでなく、怒りや驚きや悲痛や恐れ、嫌悪の感情も顔に表われたときには、どんな人にも通じるということです。

 

 

 このことを実験で確かめたのがポール・エクマンというアメリカの文化人類学者です。彼は、ニューギニアに住む文字文化を持たないフォレ族という民族を訪ね、アメリカ人がさまざまな情動を表わしている顔の写真を見せます。

 

 

 それからエクマンはさまざまな状況の説明をします。たとえば密林の小屋に一人でいたら突然、野生豚が飛び込んできたといった話です。その状況をと結びつくアメリカ人の顔写真はどれかと問いかけると、フォレ族の人たちは間違いなく恐怖の表情を浮かべた写真を選んだのです。

 

 

 そこでエクマンは逆のことを試します。さまざまな状況をフォレ族の人に説明し、その話に合う表情をしてもらってビデオに録画します。アメリカに戻ると、今度はアメリカ人に話の内容に合うフォレ族の顔写真を選らばせたのです。もちろんここでも判断は一致しました。基本情動に関する限り、文化や言語の違いを乗り越えて、人間は共有し合えることがわかったのです。

 

 

 現在の私たちはエクマンの発見を特別なこととは思いません。笑顔だけでなく、怒りや悲しみや驚きといった基本情動は、万国共通ということが実感としてわかっています。言葉は通じなくても顔の表情だけで相手の感情を理解できるし、こちらの感情も理解してもらえます。けれども1960 年代にエクマンがこの研究結果をアメリカの文化人類学会で発表したとき、会場は嘲りの声に包まれたそうです。最初はほとんど相手にされなかったのです。なぜならその当時は、情動もまた言語と同じで文化を通して伝わるものだと思われていたからです。英語を聞かなければ英語を話せないように、喜びを感じるためには他の人が喜んでいる様子を見なければいけないと信じ込まれていたのです。

 

 

 

 エクマンは学会との論争を重ねて最後は勝利します。少なくとも、情動の中のいくつか基本的なものは文化を通して身についたのではなく、人間の脳に最初から組み込まれているものだと認められるようになったのです。

 

 

 でも、エクマンの発見は脳の構造を考えることでも説明がつきますね。言葉や文化がどんなに異なっても、それは人間の脳で言えば大脳新皮質が受け持つ世界に限定されます。その内側にある大脳辺縁系の活動は、動物の時代から綿々と受け継がれてきた機能を、未だ変えることなく保持しているのです。人類に限っても60 億年という気の遠くなる時間が流れています。文化や言語の違いが生まれたのはその時間の中の「ついさっき」の出来事です。情動が顔に表われることは本能的な反応。喜怒哀楽を抑えて無表情に振る舞うことは、それによって得られるものより失うもののほうがはるかに大きいということを、心に留めて置いてください。

 

 

② 恐怖と扁桃体

 

 

 

 

 

 以前、アメリカでハロウィンの仮装をした子どもが訪ねた家の住人に、いきなり銃で撃たれるという事件がありました。原因は恐怖感です。神経が過敏になっているときに、目の前に現れた異物に恐怖を抱いて思わず銃の引き金を引いてしまったのです。

 

 

 恐怖感はしばしば冷静な判断力を失わせます。暗がりの中で突然に背後から声をかけられたら誰でも飛び上がってしまいます。目の前をフワッと横切るものがあれば「ギャアー」と叫ぶかもしれません。でも、こういった反応は生きていくためには必要なものです。野生動物がもし恐怖に鈍感なら、シマウマもキリンもたちまち草むらの捕食者に襲われてしまうでしょう。ビクビクしながら周囲を警戒し、少しの物音にも反応して全速で逃げ出すから生き延びてきたのです。

 

 

 恐怖を始めとするさまざまな情動を生み出すのが、大脳辺縁系にある扁桃体です。その扁桃体が恐怖に反応するときには、二つのルートがあると言われています。近道と回り道です。

 

 

 近道、つまり短いルートは、外部から入った情報が直接、扁桃体に伝わります。何かを見たり聞いたり触ったりしたときに、一瞬で恐怖を感じ取って反射的に動いてしまうルートです。
 回り道のルートは、情報を冷静に分析し、「これは大丈夫じゃないか」という判断
を下して扁桃体に伝えます。慌てて逃げたり、相手に攻撃したりといった誤作動を制
御するルートです。

 

 

 神経科学者の研究では、この二つのルートは同時に作動するとされています。つまり、ほんの一瞬で短いルートと長いルートから情報が扁桃体に伝わるのです。当然、短いルートを経由した情報が先に扁桃体に伝わりますが、そこで恐怖のままに行動に移すのではなく、長いルートから伝わった情報が、「よく見ろよ」と短いルートの情報を中断させるのだと言います。

 

 この二つのルートは、どちらも大事です。短いルートが作動しなくなれば私たちはしばしば「手遅れ」になります。一方、長いルートが作動しなければパニックを起こして害のない刺激にも過剰に反応してしまいます。脳の中でこの二つの情報が駆け巡っている様子を想像すると、恐怖感の正体がわかるような気がします。

 

 

 

③ 失感情症

 

 

 精神医学には、失感情症と呼ばれる症状が報告されています。文字通り、感情を失う病です。

 

 

 その症状を簡単に説明すると、自分の感情をまったく表現できないということです。感情がないわけではありません。涙を流して泣くこともできるし、恐怖に脅えたり不安を感じることもあります。喜びや怒りも生まれます。けれども、その感情を言葉にできません。「悲しい」とか「嬉しい」「怒る」といった自分の感情がいったい何なのか、わからないのです。

 

 

 涙を流しているときに、「どうしたの」と尋ねると、「ひどい気分だ」としか説明できません。不安に襲われているときにも、「動悸がする」としか説明できません。自分で自分の感情を説明できないのですから、相手が泣いていても「涙を流している」と思うだけで、悲しんでいるとは思いません。つまり失感情症は感情を表現するボキャブラリーがまったくないのです。

 

 

 言葉がなければ考えることはできませんから、相手の感情を受け止めることも不可能になります。泣いていることと悲しみが結びつかなければ、他人と共感し合うこともできないのです。原因は、大脳辺縁系と大脳新皮質の言語を受け持つ領域が断絶しているからだとされます。情動を生み出す脳が反応しても、大脳新皮質がそれを整理して言葉にすることができないのです。それがどんな状態なのか、おそらく私たちには想像することさえ難しいでしょう。自分が感情を失うというのは、途方もない孤独感なのか、その孤独感さえ感じない無音の世界なのか、やはり想像できません。

 

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