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創考喜楽

第9回:「模範上司」から生まれるそのままくん、「反面上司」から生まれるなぜなぜくん
~天邪鬼であることの重要性~

COLUMN

前々回からWhy型の人材(なぜなぜくん)とWhat型の人材(そのままくん)が育つ教育や環境の相違について解説してきました。今回も少し違う切り口からどういう環境でなぜなぜくんが育ってくるのかについて考えてみたいと思います。

 

天邪鬼であることから思考回路が起動する

 

Why型思考のなぜなぜくんは「育てる」という他動詞で語られるものではなく、「育つ」という自動詞で語られるべきだと前々回にお話しました。ではどういう環境でWhy型思考が「育つ」のでしょうか?
私はWhy型思考になるために必要な資質を一つだけ上げて下さいと言われたら、迷わず「天邪鬼である」ことを挙げます。なぜなら、「考える」という思考回路を起動する原点が「人と違うことをする」ことにあるからです。逆に言えば、「人と同じことをする」ことは思考停止を意味します。「前任者と同じようにやる」「前年並みにやる」「競合と同じような商品やサービスを開発する」・・・これらは非常に楽なやり方ですが、実は全く頭を使って考えていないということになります。前回お話した、「100点満点で満足しない」というのも天邪鬼的な考えに通じるところがあると言えるでしょう。
「同じ」と「違う」という言葉は単なる反意語と考えられがちですが、これらは同等に位置する言葉ではなく、実は天文学的な差のある概念です。「何かと同じこと(もの)」というのは基本的に一通りしかありませんが、「何かと違うこと(もの)」というのは無限の選択肢があるからです。その中から一つ(あるいは限られた数)の選択肢を自分なりの理由をもって決定するというのが考えるということなのです。
他者と同じことをやるのに理由は必要ありません(「○○さんがやっているから」というのが理由にならない理由になっているから)が、他者と違うことをやるには必ず第三者を説得する理由が必要です。まさにこれがWhyということができるでしょう。

 

「模範上司」より「反面上司」がよいこともある

 

職場に「期待の新人」が入ってきたときに、人材育成の立場としてまず考えるのは、職場のOJTによってその新人を育成するためには優秀な人材の下におくということでしょう。これはもちろん間違ってはいません。何の道にしろ、まず初心者のやるべきことは上級者のやっていることをそのまま素直に真似するという「そのままくん」的な行動だからです。学ぶとはまねぶことであるとはよく言われますね。
ところが問題は本当の初心者を脱したその後です。みんなが真似すべき職場の手本のような「模範上司」にずっと何年もくっついていることが必ずしもプラスになるとは私は思いません(特にWhy型思考のなぜなぜくんが「育つか」という点においてです)。確かに模範上司の真似さえしていれば当面のところ間違いはありませんから、短期にスキルがあがっていくことは間違いないとは思いますが、実はこのパターンでは大きなものを失うのではないかと思います。それは物事を疑ってかかったり、人と違うことをしてみようという建設的批判精神です。個別の知識やスキルは簡単に身についても、一度身についてしまったマインドセット(基本的な考え方の姿勢)というものは簡単には矯正できるものではありません。
模範上司の元では「上司に追いつこう」という心境にはなっても「上司を超えよう」とか「上司と違うやり方をしてみよう」という姿勢が次第に失われてしまうことでしょう。これが誰よりも天邪鬼であることが求められるWhy型思考にとっては致命的になりかねないのではないかと思います。ときには(真似をしたくないような)「反面上司」の下につくぐらいのほうが多少のストレスはたまっても批判的精神が身につき、自分で他人と違う選択肢を選ぶという意識が醸成されるのではないでしょうか。

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