東京都が1000億円を出資してつくられた新銀行東京が融資した企業のうち、4割以上が赤字になったり債務超過になったりして経営不振に陥っている。2008年3月には都議会で、石原慎太郎都知事の責任が問われながらも、東京都による400億円の追加出資が認められた。この時、都知事と民主党議員との間で、面白い議論のやり取りがあった。
民主党の議員が都知事の決定方針そのものを批判し、「あなたのやり方はトップダウンだ」という指摘をしたのに対して、都知事は「あなたの大将の小沢さんは、いろいろ異論があるのに相談もせず、大連合を持ち出したり取り消したり。それをトップダウンというんだ」と発言した。その後、「議論のすり替えだ」とか「静かに答弁を聞け」といった罵声が飛び交い、うやむやになってしまった。
いつもながら思うのだが、日本の政治家の議論力の弱さは国際的に類を見ない。気持ちを落ちつけてゆっくり議論できないものが国の舵取りをしているのだから、心もとない。政治家の資質の中には、議論力も加えるべきだ。国内においても、国際社会においても、落ち着いた凛とした態度で議論できる人材が必要だろう。
さて、都知事は追い詰められて民主党の党首の批判をしたようだが、これは、我々がよく耳にする「あんたもやっているじゃないか?」という主張を使ったものだ。
この種の発言は、もともとは論理的な発言とはいえない。話題から外れて別のことについて反論しているからである。上の例でいえば、「石原都知事の決定方法がトップダウンであるかどうか?」がテーマであった。石原都知事の反論は相手のリーダーの決定方式についてのもので、自分の決定方式を議論すべきところに相手の話を持ち込んでしまっている。テーマにそった議論であるとはいえないのだ。
こういう時は「①自分の決定方式がトップダウンかどうか、②その理由、③相手への批判」でよい。いきなり相手への批判では、あまりよい反論とはいえない。なぜなら、①と②が抜けているからだ。
「あんたもやっているじゃないか?」といういい方はそのままでは使えないが、「①質問への答え、②理由、③相手への反論」という流れを通して、まったく妥当な議論に変えることができる。
たとえば、「私の決定方式がトップダウンだとあなたは主張しています。トップが主張していることを下のものに実行させるというのがトップダウンなら、そのとおりです。トップダウンでなければ政治はできないからです。今回の新銀行東京が経営不振に陥っているのは経営陣の問題で、新銀行東京の発想自体ではないのです。話は変わりますが、あなたは私がトップダウンだといわれますが、そちらのリーダーも同じようにトップダウンではないでしょうか? つい先日も、いきなり大連合の話を相談もせずに実行しようとしました。それこそトップダウンというものではないでしょうか?」
このぐらいいえれば、都知事の実力も再評価されていたかもしれない。だが、いきなり相手に攻撃を加えたことで、自分がトップダウンで物事を決めるような資質であることを認めてしまったようなものだ。もう少し落ち着いた議論ができなかったものだろうか。
「あんたもやっているじゃないか?」といういい方は妥当ではない。しかし、それを発言するほうには、「私の時ばかり~といって、自分には~を適用してくれない不公平さ」への不満がある。問題は、指摘されたことをしっかりと説明することが大切なのである。いいたいことを落ち着いて説明してみる。それは簡単なようで難しいことではあるが、石原都知事の例で、その大切さをしっかりと認識しなければならない。