今日もっとも言葉の影響力を実感することができるのは、アメリカ大統領の選挙である。そこでは言葉のやり取りによって候補者の資質が問われ、その勝敗は国民という大多数の人間によって直接判断される。まさに民主主義の一大イベントである。
大統領選挙の中でも特に注目を浴びるのは、候補者同士がTVで議論をおこなう大統領選ディベートである。
1960年9月におこなわれたケネディとニクソンのディベートは、もっとも白熱したディベートのひとつだったといえる。いずれの候補者も自分の正当性を主張してはいたが、「聴衆に語りかけた」という意味でケネディに軍配が上がった。
その勝因となったケネディの議論には、ひとつのルールがあった。それは、対立する候補者を相手に説得するのではなく、聴衆を相手に説得するということだった。ケネディの話し方は的確で非常に穏やかだった。質問されたことに確実に答えていき、質問したいところが出ても相手を無闇に遮ることなく聞いていく。興奮して声高に話しても、聴衆には訴えることができないと分かっていたからだ。
「~なのでしょうか?」とも「~について答えてください」ともいわない。対抗する候補者に向かってではなく、聴衆に向かって「問題は~なのです」と語りかける。いわば、目の前の敵を負かすのではなく、それを聞いている2億人の視聴者に語りかけているのだ。決断するのはあなたがた一人ひとりなのですという前提で話をしているように聞こえてくる。その訴えかけるような態度が国民の胸を打ち、ケネディの勝利が導かれたのである。
2008年に予定されている大統領選の予備選でも、バラック・オバマ上院議員とヒラリー・クリントン上院議員との間に、これと同じような現象が起きている。州の予備選でオバマは勝っても負けても聴衆に語りかけている。それに対し、ヒラリーは自分の「経験」を主張し、聴衆に語りかけるというよりも、自分のほうがオバマより上だとアピールしている。まるで、ケネディとニクソンの時と同じ様相ではないか。
ここでケネディのルールに私たちが学べることは、穏やかに問いかけるスタイルでも質問の役割を十分に果たすことができるということだ。そして、説得すべき相手を見失わないこと。これが、ケネディの質問力の秘訣なのである。ケネディのディベートから引用しよう。
「The question really is: which candidate and which party can meet the problems that the United States is going to face in the sixties? 本当の問題は、これからの60年代、アメリカが直面する問題にどの候補者とどの政党が対処できるかなのです」
「問題は~です」と問いかけ、選択を提案することによって質問をする。それがケネディの質問力の秘訣であり、私たちが穏やかに議論をしたい会議などでも十分に通用する質問力の方法なのである。具体的に見てみよう。
ある会議で、あなたも対抗企画のひとつを提出した。だが、思うように議論は進まない。そんな時、あなたは「本当の問題は、どちらの企画がより現在の問題を解決できるのか、だと思います」という。これでいい。主張しているかのように見えるが、実際は、そこにいる人たちに質問しているのと同じ効果になっている。それを聞いたほうは「より現在の問題を解決できそうな」ほうに票を投じるしかなくなるのだ。 あるいは、次のような表現もあるだろう。
「本当の問題は、どちらの企画がより会社に利益をもたらすか、ということです」
「本当の問題は、どちらの企画がより早く現在の問題に効果を発揮するかなのです」
質問するということは、目の前にいる人に対してクエスチョンマークを突きつければよいということだけではない。時には、目の前にいない人に向かって質問を投げかけなければならないこともある。あるいは、対立するということが重要ではない場合もあるのだ。そういう時は、ケネディが使ったような質問で穏やかに問題を提示し、選択肢を選んでもらうという方法も有効なのである。