「どうして現地人材は自分で考えようとしないのか?」という問題意識やストレスは、特に、日本人が“上から目線”になりがちな新興国において、日常的に頻繁に起きがちです。
日本人駐在員からの具体的な声は、次のようなものです。
「『○○について少し考えて解決策をまとめて出してくれますか?』と現地人材に依頼しても、アウトプットが全く出てきません・・・。提出を要求しても、『部長(=日本人)の考えを聞かせてください』というように指示や答えを求めてきます・・・。ひどいケースは、『部長(=日本人)が先に言うべきです。私はそれに従うだけですから!』と感情的にキレるんです・・・。」
現地人材全員が、いつもこのような行動をとっているわけではありません。ですが、日本人特有の行動特性に何度か遭遇すると、このような行動が起きやすくなると考えるのが適切だと思います。
冒頭にある問題意識やストレスを抱える赴任後間もない日本人と私の間で、次のような対話がよくあります。
篠崎:
「赴任後、アウトプットの提出や提案を現地人材に何回くらい求めましたか?」
駐在員:
「ずいぶんあります。最低でも10回以上は・・・」
篠崎:
「その時に、自分が期待していたアウトプットのイメージと現地人材が作成したものとの間にはどの程度ズレがありましたか?」
駐在員:
「そりゃもう、全然違いますよ・・・ズレまくりです!」
篠崎:
「なるほど。それに気づいた時に、相手の現地人材にどのように対応しましたか?」
駐在員:
「そりゃ、期待していること、やってもらわないといけないことをとにかく伝えましたよ!」
現地人材の具体的な声は、「頑張って考えをまとめて提出しても“否定”されるだけで、結局は日本人の考えや日本での仕事のやり方に“従う”だけですから・・・」といった具合です。実は、この声こそが、日本人が「不適切」と感じる行動を現地人材がとる本質的な理由なのです。
日本人は通常、日本の組織で日常的に自分を強く押し出すということをあまりしません。むしろ、その場の“空気”を読んで自分の考えや主張を適切に呑み込み、上司や周囲の人たちのそれに適合させる習慣を身につけています。その結果、日本の組織では通常、お互いの考えや意見を否定(=に反対)する行動が大変少なくなってしまっています。このような組織文化の中で、仮に、上司に考えを否定された場合は、「自分が適合しなくては!」という心理が本能的に働き、逆に、部下の考えを否定した場合は、「相手が適合すべき!従うべき!」と考えてしまうのです。
一方、外国人は日常的な「自己表現」と「自己主張」が自分の存在価値だと認識します。自分の意見に対しては当然、肯定(=賛成)もあれば否定(=反対)もあると考え、そこを起点に議論を始めようと考えます。しかし、日本人の多くは「適合」が行動の基本原則なので、相手の考えと異なる(=に反する)意見を表現することはもちろんのこと、自分の考えと異なる(=に反する)考えや意見を表現されることにも日常的に慣れていません。従って、現地人材が自分の期待するイメージとズレたことを言ってくると、条件反射的に「否定」する行動をとってしまうのです。さらに、自分にとって常識的でないため、イラッとした感情が合いまって感情的になり、無意識のうちに自分の考えに「従える」行動をとってしまいがちです。
諸外国の多くの現地人材は通常、このような“日本人的”な行動に大きな違和感を抱き、「どうせ日本人の考えに従わないといけないなら、頑張って自分の考えをまとめる時間は無駄だし、表現する価値もない」と考えてしまいます。当然の結果として、優秀な現地人材はこのような行動をとる日本人とは働きたくないと感じ退職していきます。一方で、そうではない人材が従順さを表面的に装い、指示待ち化していくのが海外拠点の現場で起きている実態なのです。
本質的な解決の方向性にそっていえることは、日本人は現地人材と対話するとき、「議論」を強く意識した方がよいということです。“本来の”議論は「否定と肯定」「反対と賛成」を必ず伴い、「否定と反対」が少ない日本での「“様子見色”の強い打ち合わせ」とは大きく異なります。日本人には、「議論」を通して、相手の考えや意見を活用する余地を自分の中で広げる努力が必要だと思います。