O.J.シンプソン事件をご存知でしょうか?

1994年にシンプソンの元妻、ニコール・ブラウンが、友人のロナルド・ゴールドマンとともに、自宅の前で何者かに殺害され、夫のシンプソンが殺害容疑で逮捕されました。シンプソンはアメリカンフットボールのNFLでMVPにも選ばれる名選手で、引退後は俳優やコメンテータとしても活躍する人気者でした。それゆえこの事件は全米を震撼させる大事件となったのです。

 

逮捕後、シンプソンは弁護士費用5億とも言われるスーパー弁護士軍団を結成して裁判に臨みました。この裁判はテレビで生中継され、全米の注目を集めることとなりました。検察側はシンプソンが長年にわたり元妻に暴力を振るっていた証拠を提出し、妻への虐待が殺人につながったと主張しました。しかし弁護側は「妻を虐待していた夫の中で、妻を殺してしまう夫は2500人に1人(0.04%)しかいない」という統計を示し、検察側の主張する「夫が妻を虐待していた」という事実は証拠として意味がないと反論したのです。

 

弁護側は確率を用いて検察側の主張の誤謬性を数学的に示したわけですが、一見正しく見えるこの論理にはある前提条件が抜け落ちています。それは「ブラウンがすでに殺されている」ということです。

 

確率は前提条件によってその数値が大きく変わります。日本人の大学の進学率は現在、約50%と言われますが、当然ながら誰もが50%の確率で大学に行けるわけではありません。個人的な能力を除いても、親の仕事や年収、生まれた土地などによってその確率は大きく変化します。また日本人の死因の第1位である癌は今や2人に1人はなると言われますが、これも生まれた年代や性別、持病などによってその罹患率は大きく変わります。例えば糖尿病患者が膵臓癌を発症する確率はそうでない人の2.3倍と言われます。

 

弁護側は検察側の主張に対し、2500分の1という数値を示し、証拠として弱すぎると反論しましたが、2500分の1というのは「家庭内暴力を受けている妻が夫に殺される確率です。しかしブラウンがすでに殺害されているのであれば、確率にその条件を加えなければなりません。つまりここで考えるべき正しい確率は「家庭内暴力を受けている妻が殺害されたときに夫が犯人である確率」なのです。この条件のもと、アメリカの殺人事件に関する統計と照らし合わせて計算し直すと、夫が妻殺害の犯人である確率はなんと80%を超えると言われます。0.04%から80%、これなら十分に証拠として説得力があります。

 

弁護側のこの数学的トリックを用いた反論が効果的だったかどうかは定かではありませんが、結果的にシンプソンには無罪の判決が下りました。無罪を勝ち取ったシンプソンは「検察は殺人犯を勝たせてしまったな」という言葉を残したと言われていますが、もう判決は覆ることはなく、真実は闇の中です。

 

このように正しい知識や倫理なしに数学を扱うとき、数字はときに私たちをミスリードする強力な手段へと変貌してしまいます。このようなケースは日常に溢れています。例えば家電量販店などでよく見られる10%ポイント還元は10%割引とよく混同されますが、計算してみるとその割引率はポイントを全て使ったとしても約9%です。もしも10%割引と10%ポイント還元を選べるのであれば、迷わず10%割引を選ぶべきです。

 

 

また数学はそれ自体が強力な説得力を持っているため、私たちをときに思考停止に追いやってしまう危険性を孕んでいます。最近スターバックスがストローの廃止を決めたことで、プラスチックによる海洋汚染が世間で注目を集め、テレビでも連日報道されることがありました。スターバックスの活動を賞賛する意見がある一方、「海に投棄されるプラスチックゴミのうちストローの割合は0.25%であり、ストローだけ規制しても意味がない」と、批判的な意見も多数見受けられました。しかし数字だけを見て、スターバックスの活動が無意味と決めつけてしまうのは早計です。確かにストローの全廃による環境汚染に対する直接的な効果は数字を見る限りほとんどありませんが、スターバックスの活動はプラスチックゴミによる海洋汚染問題を広く世間に認知させることになりました。これがきっかけとなって環境への問題意識が高まれば、環境汚染に対する様々な取り組みが行われていくでしょう。0.25%という数字は、数ある真実の内の一つを明らかにしているに過ぎません。数字は情報として非常に貴重ですが、数字が全てを表しているわけではないことを念頭に置き、その裏にあるものを見通した上で、ものごとの是非を判断するべきです。

 

数学は嘘をつきませんが、その絶対性がゆえに、私たちは盲目的に数学を信頼してしまいがちです。数字で溢れかえった情報化社会に生きる私たちは正しく情報を理解するための情報リテラシーが求められますが、優れた情報リテラシーには数学リテラシーとも言うべき能力が必要と言えるのです。

 

ところで皆さんは好きな芸能人と結婚できる確率がどれくらいかご存知でしょうか?このとき起こり得る事象は「結婚できる」か「結婚できない」かの2つしかありません。したがってあなたが好きな芸能人と結婚できる確率は2分の1です。これなら十分勝算がありますね。高嶺の花とあきらめずに一度トライしてみてはいかがでしょうか(笑)

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