世界を数学の目を持って見ると、なぜその数字になっているのか?と不思議に思うことがあります。そして多くの場合、それは無作為に決められたものではなく、数学的な理由があります。あなたのデスクの上の一枚の紙もその一例です。

 

紙のサイズには国際規格のA判と日本独自規格のB判がありますが、どちらも横と縦の比率が1:√2(1.414…)になっています。この比率を数学では白銀比と言うのですが、白銀比を縦と横に持つ長方形は二つの長辺の中点を結んでいくと、もとの長方形と相似な長方形が無限に生まれるという美しい性質を持っています。私たちが普段何気なく使用している紙のサイズは、このような数学的性質によって決められているのです。

 

 

では私たちにとって最も身近なものの1つである時間はなぜ1日24時間なのでしょうか?それがもう当たり前のものとして私たちの暮らしに馴染んでしまっているため、普段は意識しないかもしれませんが、冷静に考えてみると随分と中途半端な数に思えないでしょうか?どうして10や100ではないのでしょうか?

 

1日が24時間である理由は、一般的には古代エジプトで12進法が使われており、昼と夜を12で分割したことがそのまま現代まで残ったとされています。それ自体は間違いではありませんが、数学的に考えてみるとそこにはまた別の側面が見てとれます。

 

下の表は1〜60までの約数とその個数の一覧表です。約数の個数の最大値が更新されるところに色を塗ってみると、それらの数値の多くが、時間の基本値に採用されていることがわかります。1日24時間、1時間60分はもちろんのこと、1年が12個の月に別れているのも、やはり約数の個数が最大になる数が使われています。ちなみに60以降は120、180、240、360の順に最大値が更新されていきます。180、360と言えば角度を思い浮かべる人も多いでしょう。

 

約数 個数
1 1 1
2 1, 2 2
3 1, 3 2
4 1, 2, 4 3
5 1, 5 2
6 1, 2, 3, 6 4
7 1, 7 2
8 1, 2, 4, 8 4
9 1, 3, 9 3
10 1, 2, 5, 10 4
11 1, 11 2
12 1, 2, 3, 4, 6, 12 6
13 1, 13 2
14 1, 2, 7, 14 4
15 1, 3, 5, 15 4
16 1, 2, 4, 8, 16 5
17 1, 17 2
18 1, 2, 3, 6, 9, 18 6
19 1, 19 2
20 1, 2, 4, 5, 10, 20 6
21 1, 3, 7, 21 4
22 1, 2, 11, 22 4
23 1, 23 2
24 1, 2, 3, 4, 6, 8, 12, 24 8
25 1, 5, 25 3
26 1, 2, 13, 26 4
27 1, 3, 9, 27 4
28 1, 2, 4, 7, 14, 28 6
29 1, 29 2
30 1, 2, 3, 5, 6, 10, 15, 30 8
約数 個数
31 1, 31 2
32 1, 2, 4, 8, 16, 32 6
33 1, 3, 11, 33 4
34 1, 2, 17, 34 4
35 1, 5, 7, 35 4
36 1, 2, 3, 4, 6, 9, 12, 18, 36 9
37 1, 37 2
38 1, 2, 19, 38 4
39 1, 3, 13, 39 4
40 1, 2, 4, 5, 8, 10, 20, 40 8
41 1, 41 2
42 1, 2, 3, 6, 7, 14, 21, 42 8
43 1, 43 2
44 1, 2, 4, 11, 22, 44 6
45 1, 3, 5, 9, 15, 45 6
46 1, 2, 23, 46 4
47 1, 47 2
48 1, 2, 3, 4, 6, 8, 12, 16, 24, 48 10
49 1, 7, 49 3
50 1, 2, 5, 10, 25, 50 6
51 1, 3, 17, 51 4
52 1, 2, 4, 13, 26, 52 6
53 1, 53 2
54 1, 2, 3, 6, 9, 18, 27, 54 8
55 1, 5, 11, 55 4
56 1, 2, 4, 7, 8, 14, 28, 56 8
57 1, 3, 19, 57 4
58 1, 2, 29, 58 4
59 1, 59 2
60 1, 2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30, 60 12

 

さて、これにはどんな数学的意味があるでしょうか?約数というのはつきつめて言えば、その数にどのような分け方があるかを示すものです。例えば6の約数には1、2、3、6がありますが、これは6が2分割、3分割、6分割の3つの分け方ができることを示しています。つまり約数が多ければ多いほど、その数は分けやすいことになります。

 

このような数が時間に使われてきたのはひとえに便利で都合が良いからです。例えばあなたが1日を労働と余暇と睡眠に等分したいとき、8時間ずつにキリよく分けることができます。1日を午前と午後の2つ、朝昼晩の3つ、1年を四季に分けられるのもこの分けやすさがもたらした恩恵と言えるのです。 もしも1日が10時間で1時間が100分だったならば、あなたの睡眠時間は3時間33.3333・・・分となり、目覚まし時計のセットにも難儀することになったかもしれません。 1日が24時間になったのは、私たちが日々の暮らし中に利便性を追求し、時間を体系的に処理できるようにしようとした結果と言えるのです。

 

分けることの利便性は時間に限った話ではありません。人類は言語能力と文明を獲得して以来、この世界のありとあらゆるものを分けることで認識し、活用してきました。人を分けることで人種を、土地を分けることで国を、考え方を分けることで主義を創り出しました。分けるということが人類の長い歴史の中で暮らしの利便性だけでなく、効率的かつ体系的な集団的営みを可能にし、文明を飛躍的に発展させてきたのです。

 

しかし本来、この世界の万物は不可分なものです。 その本質を見失うとき、私たちはときに過ちを犯します。 かつてヒトラーは人類を文化創造種、文化追従種、文化破壊種の3つに分けました。そしてその中で最も劣るとされる文化破壊種にユダヤ人を認定し、人類史上最も有名な大量虐殺を行いました。分けることは効率良くものごとを認識できる一方で、画一的な見方に拍車をかけ、それは差別や偏見といった誤った認識へと繋がります。人も国も主義も本来は連続的なグラデーションの中にあり、どこからがAでどこからがBだと言うことは決してできません。12月31日の夜に私たちがカウントダウンしているとき、地球は365.2422・・・・日という不可分な無理数の周期で太陽を一周していることを忘れてはいけないのです。

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