今回は早稲田大学ビジネススクールで組織行動や人材マネジメントを教える竹内教授にお話しを伺いました。心理学的なアプローチで、どの企業にとっても課題となる人材の育成、活用の課題を明らかにしていきます。人事部門にお勤めの方はもちろん、リーダーシップの発揮が求められる方にも学べる要素が満載です。
――まずは竹内先生のご専門について教えてください。
私の専門領域は組織行動論、人材マネジメント論と言われる領域です。主に心理学をベースにして、働きやすい環境を考え、従業員のモチベーション、エンゲージメントをどう高めるか、またそのために適切な仕組みや仕掛けをどう構築していくかという内容が一番の研究領域です。
それ以外にもいくつかのプロジェクトがあり、ここ10年ほど力をいれてきたテーマとして、新人の育成に関するものがあります。入社から数年をかけての新人の育成とキャリア開発についての研究です。とくに「社会化」という組織に適応していくプロセスやその中でいかに新人が創造性を発揮していくか、あるいは会社はどう新人の社会化や創造性発揮を導いていくかといった内容になります。
また、最近特に関心を持っているテーマは、シニア人材の活用、活性化です。みなさまご存知の通り、日本は65歳以上の人口比率が28%にも達する、高齢化率世界第1位の超高齢社会です。そうした背景の中で、組織としてシニア人材をどのように活用していくのか、どのように一人一人の能力を維持、またそこからさらに向上させていくのか、そして人的資源としてのシニア層をいかに企業の競争力につなげられるかといった内容です。高齢者というと、今まではどちらかと言うと福祉の対象としての捉え方が一般的でしたが、そうではなく、一人材、一資源として仕事を通じた社会貢献がどのような形で可能となるかということを考えていかなければいけないと思っています。
――WEBのご研究紹介の記事で少し拝見しましたが、とくに非管理職の高齢層に対してのご研究になるのでしょうか?
非管理職を対象とするのは、実は単純な理由で、年齢別にみた日本の人口構造が組織のピラミッド構造と乖離している点に起因します。
最近でこそ崩れつつありますが、まだ日本の旧態依然とした企業では年功的な処遇、入社年次を起点とした昇進等は残っており、年長者ほど組織内の高いポジションに年少者ほど低いポジションに位置づけられます。当然のことながら、役職が高くなるほどポストは少なくなるピラミッド型の形状をした人員構成になりますが、現在の日本の年齢別の人口構造はピラミッド型ではなく「つぼ型」です。現在40代あたりが人口的にボリュームゾーンで、そこから下はむしろ逆ピラミッド型につぼまっています。したがって、組織ピラミッドの裾野、つまり役職がなし、もしくは低いポジションの層にも、多くの中高年世代が滞留する現象が起き始めています。実際に、50歳代の就業者に占める管理職比率は、この20年間で20%ほど低下しているというデータもあります。非管理職の中高年社員が増えているわけです。
ですので、非管理職の中高年人材がどのように組織で活躍をしていくのか、あるいはどうキャリア開発をしていくのかが重要な観点になってきます。従前のような組織内の役職や職階という階段をあがっていくような階層的キャリアだけではなく、異なるキャリアの指向性をもった方々をどう育て、活用していくのかが重要な課題です。
――そういった対象の方々をどう活かしていくのかについては私たちもお客様からよく相談を受けますが、一番のハードルとなっているのはどんなことでしょうか?
様々な要素があり、何が決定的な要因であるのかは難しい問題ですが、心理学的な観点からお答えしますと、やはりモチベーションの問題はとても大きいと思います。
少しステレオタイプなものの見方で、必ずしも正確な認識ではないかもしれませんが、例えば若手社員から見ると中高年層の方々は、当然個人差はありますが、中にはモチベーションが高くないと目に映ることもあるようです。なぜそういったことが起きるか考えると、将来のキャリアが見えないといったことや、定年までに残された時間がリアルに認識できてしまうために無難に過ごしてしまうといった、言わば引退過程の働き方が若手にはモチベーションが低く見えている部分があると思います。
実は心理学の研究を踏まえると、心理的な老いというものは30代から始まると言われています。
――そこからモチベーションが下がっていくということでしょうか?
上がる、下げるという表現は適切ではないかもしれませんが、少なくとも何か新しいことを獲得しよう、獲得するものを最大化しようという意欲が衰えていきます。一方で年齢があがるにつれ、これまで獲得したものの損失をいかに抑えるか、つまりリソースロスの最小化という指向性が顕在化してきます。
そのため若い人から見ると、一生懸命働いていないように見えてしまうんですが、本人はある種の「維持」の段階に入っているため、一生懸命に自分の獲得したものを守ろうとしており、認識のギャップが大きくなってしまうと言えます。
ではどうしたら新しいものを獲得しよう、資源を最大化しようという考え方を維持できるかが重要です。心理的な老いには個人差がありますから、60代になっても新規獲得の指向性が非常に高い方もいらっしゃいますし、一方で30代早々にリソースロスの最小化にスイッチしてしまう人もいます。
――そういった意識の差がでてしまう原因は何なんでしょうか?
一番大きな心理的要因は自分の生涯がどれくらい残っているのかという知覚です。自分の人生、未来がどれくらい残っているかの認識を、心理学では「未来展望」と呼びます。まだ自分の人生にチャンスがあると考える人、つまり未来展望に広がりを感じる人は資源の獲得指向が高い状態で維持される傾向があり、一方で自分の人生は限られており、チャンスは余り残っていないと考える人、つまり未来展望が限られていると感じる人は今あるものをいかにプロテクトするかという考えになります。
未来展望は知覚なので、それをどう拡張できるか、未来は長いんだという知覚をもっていただくための対策を考える必要があります。
――通常の企業では定年制度があります。先ほどのお話からは定年間際の方はリアルに残された時間が認識できてしまいますが、そこについてはどう対処すればよいでしょうか?
二つ考え方がありまして、一つは「Occupational Future Time Perspective(仕事上の未来展望)」という考え方で、もう一つは純粋な「Future Time Perspective(未来展望)」という考えです。
仮に定年年齢を65歳としましょう。前者は65歳までの期間にどれだけ質の高い時間を過ごせるかという感覚です。残された時間が濃密でどれくらいチャンスがあると認識できるかが高いモチベーションを維持するポイントです。
後者は65歳で人生は終わりではないという考えです。65 歳で定年を迎えたとしても、それ以降で社会に貢献できることがある、あるいはこれからは65歳以降も就業の機会が増えていくと考えられていますし、実際に65歳以上の就業人口比率は増えています。そうなると定年後のキャリア機会の探索という観点まで意識が向く方のモチベ―ションは維持される、あるいは、さらに開発されていくでしょう。
――65歳以降の人生の楽しみ方を見つけるというのは日本人男性が苦手としている領域と言われることもあり、定年後の過ごし方に不安を抱く人もいますが…
それも先程の理論と関連しているのですが、新たな資源の獲得指向の強い人と既存の資源を守ろうとする人には対人関係のパターンが異なると言われています。新しいものを獲得しようとする人には情報が必要になりますし、その情報を得るためには色々な人とコミュニケーションしていかなくてはいけません。コミュニケーション機会を得るためにはそのためのネットワークも必要なので、どんどんネットワークを広げていきます。結果的にキャリア機会も広がり、定年後に声が掛かったり、あるいは逆に他の人にその機会を提供したりしているかもしれません。
一方で、リソースロスの最小化にフォーカスしている人は、既存の友人、家族、パートナーなどの親密なネットワークとより深い絆を築こうとします。これ自体には意味があると思いますが、とはいえ、自身の感情を安定させるネットワークとのみ継続的にコンタクトをとるので広がってはいかないんですね。
――未来展望を持つこと、広範にコミュニケーションをとることの重要性がわかっても、なかなか実践できないケースもあるように思えますが、その点についてはどうお考えでしょうか?
50代、60代になってからでも可能だと思いますが、できれば若いうちからのキャリア研修が大切です。日本企業の全てではありませんが、多くの場合、キャリア支援の取り組みは、組織内で階層的にキャリアを上昇させることを前提にしているものがほとんどです。要するに、非常に限られたキャリアパターンしか想定されていません。近年ではプロフェッショナル人材向けのキャリアなど、単純な階層的キャリア以外のキャリア支援やインセンティブもありますが、それでも与えられたメニューの中から選択をするというリアクティブなキャリア開発をしているケースがほとんどです。そうなると先程の話のように今までずっと選択肢を与えられてきた方々は、50代、60代になって急に自由に選択してくださいと言われても、どうしてよいか分からなくなってしまいます。私にはそれは企業として、少々無責任なことに思えます。なので20代、30代から100年時代を見据えた主体的なキャリア開発の機会が必要です。先程の話の通り、30代から心理的な老いは始まるので、その前後から手を打つ必要があります。一方で、企業側からすると、従業員、特に若手に主体的なキャリア開発を支援すると離職が増えるのではないかという不安があるため、なかなか進まないというのが現状ではないでしょうか。
――お話にもありましたが、やはり企業としては主体的なキャリア選択を示唆することが離職につながるという不安があると思いますが、実態としてはどうなんでしょうか?
主体的、積極的なキャリア開発を支援すると離職は増えるのか、ということですよね。実は意外なことにこういった支援をしてもあまり個人の離職意思には影響がないことが分かっています。逆に言うと離職を減らすこともありません。無相関です。一方で職務に対するエンゲージメントは上がることが分かっています。だとすると、業務に対してきちっと集中してくれるし、離職率は上がらないので、過敏に反応する必要もないと私は考えています。
――エンゲージメントが上がるとのことですが、ここについてもう少し詳しく教えてください。
エンゲージメントという言葉は非常に曖昧に用いられているので、注意が必要ですが、大事なのは「何」に対してのエンゲージメントか、ということです。先程のお話ではあくまで職務に対してです。
仕事に対して情熱を持つ、意識を集中する、実際にアクションする。この三つが揃って職務エンゲージメントが高いという状態なります。
心理学的にはエンゲージメントを高めるためには「Psychological Safety(安心感)」「Availability(有用感)」「Meaningfulness(有意味感)」三つの要素が必要だと言われています。一つ目の心理的な安心感は、例えば、職場などで自分自身の内面をさらけ出したり、自身の意見を述べても何ら問題ない、恐れることはないという感覚です。二つ目の有用感は自分が必要とされている、自身の能力が求められているという感覚です。三つ目は自身が担当する仕事にどのような意味や価値があるのか理解しているということです。この三つが揃うとエンゲージメントが高まることが確認されています。
リーダーシップでも人事の施策でも、この3点を個人が高められる環境をいかに提供できるか考えることが大切です。
――こういった研修は離職とは無相関とのことでしたが、新人の離職防止も企業にとっては気になるところです。なかなか定着しない理由はどこにあるのでしょうか?
新人が職場に定着しない場合、その大きな理由は自分のキャリアパスが見えないことです。会社が研修や現場のサポートなどにしっかりと取り組んでいても、新人からすると今やっていることが、3年後の未来、5年後の未来、10年後の未来につながるイメージを持てなくなります。こうなると自身のキャリアパスが見えず、現在の会社にこのまま働き続けてよいのか不安を感じてしまうのです。
一方で最近の大学は、学生向けのキャリア教育にものすごく力を入れていて、エントリーシートの書き方や面接の受け方といったテクニカルな話ではなく、自分の生き方、生涯の考え方、仕事とは何かといったレベルで考える機会を持たせています。つまり自分なりの将来設計を描いている学生は割と多いんです。
しかし、会社に入るとそこにギャップがあり、キャリアパスが見えないという現実に直面すると、先ほどお話しした不安感が増大するのです。ですので、企業側としてはしっかりとキャリアプランを示すことが重要だと考えます。
――企業が考えているよりも学生のほうがキャリア意識は高いのかもしれませんね。そんな新人ですが、育成のポイントはどこにあるのでしょうか?
ポイントは三つです。一つ目は研修をすることです。これはOJTではなく、新人だけで、業務から切り離された環境であることが重要です。この目的の1つは同期ネットワークの構築です。日本企業の場合、ローテーションがあるので、部署は変わっていってしまいます。それでも最後に残るつながりは同期です。これは日本企業にしかない興味深いソーシャルキャピタルです。初職の同期と旅行や飲みに行くという例は枚挙に暇がありません。
二つ目は先程申した通り、会社としてのキャリアパスを明示することです。個々人のキャリアプランとは別に、会社としてどういったキャリアパスを考えているのかを新人と共有し、すり合わせを行うことが大切です。会社としてのキャリアプランを持っていて、それを伝えてあげないと本人だけでは考えられません。
三つ目は現場でのサポートです。
この三つで三位一体です。研修だけで終わってしまうというケースが多々ありますが、新人は不確実性が高い状態ですので、情報が必要ですし、現場の支援も必要です。
――シニア人材、新人育成に関わる人事部門について、最後にコメントをお願いします。
今の人事部の特徴として、専門性が高くなっています。人事で働く方々の中でも、採用、教育、評価などの細分化したファンクションに特化した専門性を追求する傾向が強くなってきています。つまり「知の深化」の追求です。これ自体は悪いことではないのですが、留意すべき点として、独りよがりのサービス設計をしてしまう可能性があることと、もう1つはイノベーションが起こりにくくなる可能性がある点です。
私は人事にも当然イノベ―ションが必要だと考えています。その上では「知の深化」に加え、「知の探索」も大切です。イノベーションという言葉はもともと新結合という意味です。細分化したファンクションに特化する一方で、幅広く情報や知識を得ていくこともまた大切な観点となります。
竹内 規彦(たけうち のりひこ)
名古屋大学大学院国際開発研究科博士後期課程を修了し、博士号を取得。東京理科大学准教授、青山学院大学准教授等を経て、2012年より早稲田大学ビジネススクールにて教鞭をとる。2017年より現職。
Association of Japanese Business Studies(米国)会長、Asia Pacific Journal of Management副編集長、組織学会評議員、産業・組織心理学会理事等を歴任。組織診断用サーベイツール(モチベーション・ストレス・リテンション等)の開発及び企業での講演・研修等多数。2016年早稲田大学リサーチアワード(総長賞・国際研究発信力)受賞。2018年同ティーチングアワード(総長賞)受賞。