我々は日本企業だから、海外でも「人を大切にする経営」をしなければいけない。多くの日本人はこの思想に違和感を抱くことは少ないです。なぜなら、多くの大企業の日本本社においてこの思想が一般的だからです。
世界経済の低迷と日本市場の停滞の中、今、われわれ日本人は「人を大切にする経営」の意味を改めてよく考える必要があると思います。
バブルが崩壊する1991年までは、オイルショックの時期を除けばおおよそ景気がよく、日本企業の業績は毎年向上し組織も拡大していました。その流れの中で、終身雇用が定着し雇用の継続と保障が維持されてきました。パフォーマンスが悪い社員でも家族の一員のように周囲の社員から助け支えられ、報酬面でも他の社員と大きく差がつくこともありませんでした。そして、基本給が毎年上昇することは社員にとって当たり前のことで、皆が平均的に幸福と安心を感じていたのでした。これこそが、日本企業にとっての「人を大切にする経営」の実態だったのです。
バブルが崩壊した後は、リストラという名のもとで、早期退職優遇制度、55歳役職定年制が粛々と実行され、定年までの雇用維持と給与上昇の原則は崩れました。成果主義のもとでは、解雇規制があるため退職勧奨までは及びませんが、以前の「平等的感覚」は崩れてきました。その結果、精神のバランスを崩す人、リストラされて自殺する人などが増え、ひとりの人間としての「生きる力」を弱めてきたのは明白な事実です。にもかかわらず、従来の「人を大切にする経営」の思想が感覚的に残っているのは不思議と言わざるを得ません。
他方、海外拠点の日本人マネジャーは「日本本社の思想」と「現地拠点での実情」の狭間で悩みますが、サラリーマンゆえ、日本本社の思想に傾いてしまうことが多いように感じます。「冷たい人」と思われたくない心理が働くのでしょう。具体的には、海外拠点でも、できが悪く成長見込みがなくても現地社員を解雇しない、現地社員の給与に差をつけない、毎年少しでも給与を上げる、昇格させた社員は降格させない、というような行動をとることになるのです。
海外拠点の日本人がこのような人を大切にする「優しさ」を是として行動し続けると、経営体力は低下していく可能性が高まります。まず、できの悪い人材が滞留し、それに疑問を感じる優秀な人材が呆れて退職することになります。次に、できの悪い人材の人口が多くなり成果の質と水準を低下させることになります。それを低下させないためには日本人駐在員が体を張って頑張るしかなくなってしまうのです。一方で、彼らの給与が上昇することで成果に不相応なコストが増大することになるのです。
世界では、会社は社員のパフォーマンスを合理的に評価し、成果や行動面で成長見込みがなければ退職勧奨します。つまり、人材を適切な基準に照らして見極め「選別」するのです。社員も、自分が描くキャリア形成に相応しいと感じる場所を「選択」し続けるのです。それに対して、日本では、会社は「選別」せず、社員も「選択」することが少ないです。そして、この論理と実態が組み合わさって、日本企業の海外拠点では、できの悪い社員を「選別」せず、できる現地社員に「選択(=退職)されっぱなし」という現象が起きてしまうのです。さらに、日本人駐在員は「選択(=退職)される」ことを憂い嘆くか、ぼやいて批判することが多いのです。日本企業でも海外では、向上心があり優秀な人材になればなるほど「選択」する行動をとることは一般的なのです。
「人を大切にする経営」の“世界的思想”をあえて定義してみると、自分の目標を強く意識させ、能力と適性の現状を適切な評価を通して正しく認識させ、GAPを埋める機会と支援は提供するものの時限的に可能性を見極め選別する経営、つまり、結果的に自己責任でキャリアを形成させる経営、社員ひとりひとりの「生きる力」を最大化させる経営、といえるのではないかと思います。
経営環境がすでに大きく変化している中、「人を大切にする経営」の“日本的思想”の意味をよく理解せず、感覚的に盲目的に海外拠点に持ち込むこと、あるいは、本社から海外拠点にこの思想を求めることは大変リスクの高いことだと思います。