他人のやっている動作や態度で好ましくないと感じたら、その相手をとがめる前に、自分は他人に対して同じようなことをしていないか、他人の行動を自分のこととして省みなければならない。。 |
「振り」というのは「振る」という動詞から、動作をすることの意味になり、さらに「振りを付ける」のように「演技のしぐさを指導する」と、転化しています。要するに、ここでの意味は「身振り、しぐさ、ビへイビアー」ということになります。
中国の格言のなかにある「他山の岩、もって玉を攻むべし」つまり、「他の山の粗悪な石は、それそのもので飾ることはできないが、自分の玉を磨くのに使える」とほとんど同じ意味です。
他人の欠点や、行動の誤りなどは、とかく目につきやすく、気になりやすいものですから、それを指摘して改めるように求めたくなります。
しかし、自分の欠点や、やり方の誤りについては気がつかず、それを修正することは難しいようです。そこで、他人のことを自分の鏡として参考とし、他人をとがめるまえに、自分を磨くことに利用しようという教えです。
人の生き方のなかには、自分に厳しい人と他人に厳しくて自分には甘い判断をしている人の2つに分かれるようです。
夫婦でも、また仲間同士でも、その関係を見ていると、この2種類のパターンが見られます。
うまくいっている夫婦関係は、相互に助け合うことはもちろんですが、それ以外に、「相方の欠点をとがめ合うことをしない」ということがあります。
もともと人間は、自分の性格を直したり悪いくせを矯正することは難しいものです。忠告をすなおに聞き入れることも、なかなかスンナリとはいかないようです。
夫婦の共同生活のなかで、嫌なことが鼻について気になりだしたからといって、相互に指摘し合っていたのではうまくいかなくなるのは当然でしょう。許し合って、自分を変えていくことによって、もつれた夫婦関係が改善されるのはよく見られるケースです。
このことは、全社生活の同僚との関係でも、また上司と部下との間柄についても全く同じことが言えると思います。
一緒に共同生活をして、協同の仕事をしているのであるから、なんでも気付いたことをドンドン注意したらよいのではないかという考えを持っている人も少なくありません。
部下の指導について、厳しく注意を与え、厳しく指導していれば、かならず部下はついてくると錯覚している上司がいます。しかし、現実には、従順に心服しているのではないことも少なくありません。