All Rights Reserved by IEC, 2008
Home Contents Contact
第1回:坂の下からイノベーション
 2001年の夏にシカゴから始まり、ロンドン、オランダと続いた海外生活が終わり、日本に戻ってきました。今年の9月から日本の大学で研究することになりました。戻ってきたとたん阪神タイガースが首位から転落したのはとても残念でしたが、やはり久々の日本ですからいろいろとうれしいです。トンカツをランチで食べてもせいぜい1000円ぐらいですよ。ご飯もキャベツもお味噌汁までお代わり自由。しかも美味しい。ロンドンでは美味しくないパサパサのサンドウィッチとコーヒー食べたらもう5ポンド(当時だいたい1000円)ですよ。

それにしてもここ数年、あまり良いニュースがありません。21世紀は“未来の世紀”だとばかり思っていましたが、実際にはなんだか前近代的なことばかり。総理大臣はあっという間に辞任し、年金の数字は改ざんされ、マンションの耐震強度は偽装される。将来の先行きは不安。頻発する通り魔や放火。料亭では残り物、温泉には入浴剤、お米には事故米。中国産ばかりか国産の食品の安全性も怪しい。官僚は奥さんと一緒に接待を受け、テレビは事実を捏造する。子どもたちの学力は下がり、お金を払えば教師になれる県もある。まるで日露戦争時のロシアです。帝政ロシアの終わりで、社会はメチャメチャ。国民の格差はひどく、官僚は自分のことしか考えない。みんなが近視眼的に行動する。政治家と王宮は体制の維持だけに努め、国民の間の経済的な格差は広がり、伝統的な価値観は崩れ、混乱し、みんな疲弊する。

 一方、当時の日本は近代化が始まったばかりの社会です。ついさっき丁髷を切ったばかりです。それが懸命に自分の利益も考えずに、司馬遼太郎が書いたように「坂の上の雲」を見上げてがんばった。その後、行き過ぎて悲惨な戦争を起こしてしまったわけですが、それでももう一度がんばった。戦争でボロボロに負け、ようやくがんばって落ち着いてきたと思ったら、ニクソンショックとオイルショック。産業構造をがらりと変え、自動車や電機が基幹産業になって頑張った。何とか復興を果たし、ソニーがトランジスタラジオを、ホンダがスーパーカブをもって海外の市場に果敢に向かったのです。多くの日本企業が品質の高い製品を創り、それに続きました。1980年代の後半にはロックフェラー・センターを買い、ジャパンはナンバーワンだともてはやされ、とうとう日本企業が世界の覇権をとったと喜んだ。「とうとう坂の上まで来た!」と思ったわけです。でも、あっという間に転げ落ちた。

 ここはもう一度、坂の上の雲を目指して、実直に行くしかない。ただ、闇雲にがんばれば良いというわけではないし、それでは効率が悪い。日本は明治維新でラディカルな改革をし、社会を大きく変えた。ニクソンショックとオイルショックのダブルショックの後、多品種で高品質な製品で世界を驚かせてきた。これらの背後には常に既存のやり方を変革して新しい価値を生み出す「イノベーション」がありました。イノベーションをどうやって起こしていくかがカギです。

現在は、人々の生活や考え方に多様性が広がったため、大正・明治期のように全体主義的に愛国心を利用して坂の上を目指すやり方はもう難しい。戦後の高度成長を支えてきたこれまでの日本的なやり方での企業経営も難しくなってきている面もある。それでも、イノベーションの大切さとその性質を理解し、それを起こしていける力のある個人が社会にどれだけいるかは大切です。また、イノベーションを促進するような仕組み創りも必要になってきます。いろいろなモノが混乱している今こそ、坂の上の雲を目指して、イノベーションですよ。僕の次のチャレンジはこのお手伝いです。

The best way to predict the future is to invent it!(アラン・ケイ)

Back Next
株式会社アイ・イーシー 東京都千代田区飯田橋4-4-15