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第10回
理解することが
人を豊かにする
東海大学との共同プロジェクトで行ったインタビュー調査では、フィンランドの小中学生や高校生の、目を見張るような考え方や姿勢にたくさん出会うことができた。中でも心に響いて止まないのが、勉強のモチベーションや学校の存在目的などを問いかけた時に、中学3年生の少女が言った言葉だ。
「知って無駄な知識など、ひとつもない」
彼女は、知識欲という言葉を使い、彼女の何に対しても好奇心旺盛な姿勢を説明していた。知ることで、人は自分を高めることができるということを理解しており、現実を直視するつよさをも持ちあわせているのだ。

好奇心が旺盛なのは、他のフィンランドの子どもたちや大人たちについても言えるように思う。例えば、私が日本人だということがわかると、「日本ではどうなの?」といつも大きな興味を示してくれる。しかし、私の話したことをそのまま鵜呑みにしている様子はない。誰もが自分の解釈で、得た情報をゆっくりと消化している。物事に対する自分の「答え」を導き出すためには、複数の情報源から集まる様々な情報が必要なのだ。本やテレビ、それに他者の体験談などが非常に良い情報源になっている。例として図書館の利用率が高いということに、フィンランドの国民性が表れていると言えるだろう。

そういったことからも、ただ単に「知る」だけではなく、それを「理解する」ことの重要性が窺える。ここで言う理解とは、同意見という意味ではなく、むしろ状況把握の意味合いだ。合理的に自分で組み立てた知識によって、物事の根源やそれが生じる理由などを自分自身が納得できている状態。それには、多様な情報源の他にも、豊かな想像力が必要になってくる。自分の立場を捨て、一時的に他者になりきれるほどのイマジネーションがあれば、他者の置かれている状況、心境までもが自然と見えてくるものだ。そして、それが一方的な行為で終わらずに、お互いに理解し合うことができれば、がっちりとスクラムを組んだように、社会の基盤はゆるぎないものになる。

私たちのこの世界について理解を深めることで、人は豊かになることができる、とフィンランドの若者たちは教えてくれた。たとえ、豊富な知識を元に導き出した答えが、絶望的な未来を予言するものだとしても、彼らならしっかりと受け止めて決して目を背けることはないだろう。なぜなら、問題を認識することが、あるかもしれない「解決」への大きくて確実な一歩であることを、皆知っているからだ。



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