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第1回
息を吹き返す「個性」
十六歳の夏。ひとりフィンランドへ移り、北の町ロヴァニエミの高校に入学した。フィンランド語もろくにできないまま現地の高校生に混じり、普通高校に通った中、最も大きなカルチャーショックとなったのは、あまりにも豊かなクラスメートたちの「個性」だった。ずっと阻まれることなく、生きてきたのだろうか。決められた型に当てはめられたことなど一度もないかのように、誰一人として他者と同じようではないのだ。そのことが、行動に、性格に、服装に、発言に、あらゆるものに滲み出ていた。それはこれまでの間、圧力のない空間で、彼らの中にしっかりと育まれてきたのだった。

 同じような自由は入学した途端に私にも与えられたが、決まりに従うことに慣れていた私には、自由の使い方がわからなかった。「学校には制服がない。一体何を着れば良いのだろう?」「好きなコースを選択して、自分で時間割も組まなければならない。一体何を選べば良いのだろう?」
 一応参考にしなければならない手本があるのだろうと思ったが、そんなものはなかった。目の当たりにしたのは、すべてを可能に思わせる、終わりのない選択肢。その中から各自が、他でもない自分の意思で、着々と自分の選択を行っていた。

 他の人が皆、自分をしっかりと持っているだけに、焦ることもあった。だが周囲の人は、心細い私を「それでも構わない」と、当然のように受け入れた。フィンランド語が下手でも、授業についていけずに迷惑をかけても、「焦る必要はないし、自分を変える必要もない。そのままのあなたで良い」と言った。
 そんな風に、ありのままの自分を、どんな時も受け入れてくれる人々に囲まれて数ヶ月。押し殺してきた余りに、もう息絶えてしまったかと思っていた個性が、私の中で再び呼吸を始めたのである。それは、フィンランドに来てから植えつけられたものなどではなく、遠い昔の本来の自分の姿をしていた。フィンランドには、個性をつぶさないどころか、失くしてしまった者の中にすら再度自分らしさを育み、それを確かなものにすることができる不思議な力があった。

 フィンランドの教育省は、おおまかな指示を与えるだけで、後は舵を各学校や現場の教師たちに任せている。そのため、教師は自分が一番良いと思う教え方のメソッドを選ぶことができ、学校は従来のスタイルとは並外れた新しいプロジェクトを試みることもできる。結果、一人ひとりの教師や一つひとつの学校までもが、他にはない特色を含み、非常に個性的になる。このような環境で、子どもたちの個性もまた同じように大切にされる。
 フィンランドの小中学校のクラス編成も、一クラス平均二十人程度と少人数であり、授業によってはこれがさらに半分に分けられる。クラス単位ではなく、個人単位で、極めて個人的な授業及び教育が可能になる。

 一部の教科の選択制は小学校から始まり、単位制である高校ではすべてにおいて選択権が与えられる。進路を高校に決めようとも、もう一つの選択肢である職業高校を選ぼうとも、中学校を卒業した頃から、どんどんと自分の進みたい方向へ前進することができる。そしてここで、十人十色のパーソナリティーが力を発揮する。幸い、誰一人として同じようではないため、それぞれの得手、不得手な部分が異なってくる。すると、共存することで、人々はお互いの不得意な部分を補うことができ、一人ひとりが社会にとって欠くことのできない存在になりえるのだ。大量生産された部品とは違い、「替え」がきかない。だからこそ、各々が自分の価値を理解し、自分の「役目」にやりがいを持てるようになる。リナックス考案者のリーナス・トーバルズ氏のように、才能に抜きん出た者が出現し、まさに個性的なアイデアによって未来は切り開かれていくと言えるだろう。
 もちろん、歴史的背景も人口も異なるフィンランドと日本では、やり方だけ真似したところで高が知れている。だが、この国に出会ってしまった以上、本当の自分というものを取り戻してしまった以上、もう「無理」の一言で片付けて目を逸らすわけにはいかない。もう、何もしないでいるわけには、いかないのだ。

 これまでの、ただ黙って従っていれば良かった「ただ一つの正しいやり方」が通用しなくなってきたこの時代。他人が思いつかないような突拍子もない発想や、ずば抜けた個性が、何よりもつよみになるのではないか。フィンランドの実態を見ていると、「型にはめようとしても、はまらないくらいの人材」に、本当は真の価値があるように思えてならない。

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