コンピテンシーをすでに持っている行動特性というより、いずれかというと、発揮すべき行動基準だと考えれば、確かにこのような仁義礼智、云々は、コンピテンシーかもしれないし、備えているべき資質ないし価値観かもしれない。
これら8つの言葉から導き出されることは、チーム重視、組織志向の強い行動を重んじ、決して人を疑わないことであって、戦略的に考えることや、知略をめぐらすことではない。翻って今日、企業が重視しているコンピテンシーは、いずれかというと、個人的なる行動がその中心で、我先にと自己顕示するがごときものが少なくない。
ところで、本当にこのような徳ある人物が出世していくのか、疑問もある。またこのような徳をあえて唱え続けたのはなぜかということも考えないといけない。なぜなら、武士階級の人たちは、何も高業績者からこのような徳目/コンピテンシーを抽出したわけではなく、実際にはこのようなことができないがために崇高なる理想として掲げたかもしれないからだ。
言うまでもなく、武士(もののふ)たちも、戦国時代は、芥川龍之介の『羅生門』にあるごとく、戦場で死人の鼻をそぎ集め、袋に詰めて持ち歩き、仕留めた敵方をでっち上げていた。このことからも、実績のてんぷら、でっち上げなど今日になって急に出てきた話ではなく、当時からのスタンダードだったのだ。さらに時代が下って、武士たちは、貧窮から傘張りをしたり、見栄を張っても、日々の食事さえままならない暮らしを余儀なくされる者も少なくなかった。「武士は食わねど高楊枝」とあるように、虚勢を張ることに嘲笑の眼差しが向けられた。商人からの借金で苦しむものも少なくなかった。仁義礼智などそれら徳目がろくろくできなかったがゆえに、これら徳目が重視されたという見方はあまりに薮睨みの視座構成であろうか。
ところで、話を現代に移そう。実際に出世し、会社の上層部にいる人は、一般に人の話に耳を傾けることなく、せっかちで落ち着きのないせかせかした人が多い。小心で、嫉妬深く、猜疑心の強い人が少なくない。少なくとも、聖人君子とは程遠い人のほうが多いのだ。しかし、コンピテンシーを組み合わせて、描き出されるミドル・マネジャーは、八面六臂の活躍をし、時には上層部の知恵のなさを補い、その指示や命令の不十分さをたくみに補佐し現場の不具合を収め、・・・とある。ある見方をすれば、バカなトップを補佐するミドルにエールを送ることは、金井壽宏先生風に言えば、「戦略的ミドル」かもしれない。しかし、私自身は複雑な気持ちにもなる。
昔、日活の映画で一世を風靡した石原裕次郎は、水割りを片手にマイクで格好よく歌を歌い、デュエットしていたかと思えば、お次はソロで絶唱し、そこに何ゆえかやってきた暴漢を片足で叩き伏せたものだ。しかし、そこに主人公願望の強い経営トップの姿を見るのは私だけだろうか。結局、いつまでもボスがポストに固執するから、『太陽の吠えろ』のデカたちは、殉職という形でしかスターになることができなかった。一将功なりて万骨枯る、ことになりはしないか。
またここで、死して屍拾うものなし、というナレーションが何度も流れる、時代劇『隠密同心』を思い出すのは私だけだろうか。死して屍拾うこともない、捨石的な中での活躍を強要される状況は、成果主義に狂奔する今風の企業の身勝手さを髣髴とさせる気がする。そんな生まれついたる忍者のような生き方を従業員に要求することにそもそも無理はないのか。
実際、会社の組織で出世している人の気質分類は、行動心理学の類型で言えば、努力型で積極型の人である。しかし、これは、もっとストレートな言い方をすれば、粘着気質でヒステリーな人だ。こういうひとは確かに達成意欲が強く、負けず嫌いなのでとことん実績を追及していくかもしれない。しかし、一方でこういう人の短所的側面は、柔軟性に欠き、ついつい行き過ぎた細部の管理に走り、人の好き嫌いが激しいことだ。また怒りっぽく、切れやすい。さらに傾聴姿勢に欠く。実際、こういう人は会社で結構出世している人にむしろ多い。生真面目に仕事する、お人よしな人は上にうまく使われてミドルに留まり、上層部にはならない。
AGP行動科学分析研究所のデータでも、ある会社の例ではあるが、低業績者と高業績者とを比較していくと、多くのコンピテンシーに関して、高業績者に高いのだが、傾聴反応力や人事評価力などでは低業績者のほうが優位になっていた。高業績者のプロフィールは、自信家で、慎重に仕事を進め、抜けめがなく、腹が据わっているのだが、同僚や部下の話にはあまり耳を傾けず、自己の利益や実績にはすこぶる敏く、部下への評価は厳しめになるというものだった。少なくとも、部下の話を共感的に受け止め、公正に評価し、育成指導に熱心な人ではなかったのだ。
横暴な主君を諌めながら、最後は腹をかっ切って、主君の過ちを示唆する。そんな捨て身の生き方を強い、美化する伝統がこの国にはまだ強く残っている気がして仕方ない。
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