長らく人事制度運営で大前提となってきた考え方に「人材開発はどこまでも行える」ということがある。いかなる人間でも組織の期待や本人の思いによってどこまでも変わりうるということは一見受け容れられやすいヒューマニスティックな理想である。
このことは、例えば、職能資格制度の提唱者であり、近年まで日本の人事のあり方をリードしてきた楠田丘氏にもたびたび強調されてきた。曰く、人間の能力開発は無限であり、すべての社員/職員に最高段階まで昇進昇格できる機会を与えるべきだ、という。
しかし、そこには裏もある。というのも、企業自身は早期選抜をさっさと済ませ、敗者復活は例外的なことと考えて人事を運営してきたからだ。このことは、一連の研究によって実証されている(※)。つまり、能力無限発展説は現場受けする建前に過ぎず、本音では若年時にほぼ選抜を終えた人事運営を図ってきた。つまり、早期適性確定説が実務上の実態なのである。
※南隆男・若林満・佐野勝男らは、入社7年目にアセスメントした結果がその後全く覆されることがないことを経年データで実証した。これは70年代に米国で行なわれたAT&Tにおけるキャリア研究の日本版と言われている。また花田光世は、日本企業における敗者復活人事についてトーナメントモデルで実証した。いずれも1980年代におけるキャリア研究の成果である。
実際、その人の人事考課の成績は経年で追えばほとんど変化せずに同じような評価が与えられ続ける。たとえ評価制度が変更されても、評価段階ごとの分布比率を変更しない限り、評価結果はほとんど同じになっていく。ただ、本人の失敗や意欲低下などで評価が下がってしまうことはあるが、大化けして上昇することは極めて稀である。何かのきっかけでその人への評価が高くなることはある。しかし、人事部はこの評価を従来の評価段階に下方調整するという実態もある。若年時に高い評価を得ない限り、更改して高くすることは珍しく、下がっていくことは少なくはない。これが実情だ。
何とも寂しいような話でもあるが、そんな先に決まったような人事がある一方で、人材開発がどこまでも可能ということが夢のように語られ続ける。管理職になったら、途端に部下の育成指導を重視せよ、困った部下であっても徹底的にコーチングせよ、とうるさく言われ、時には責任追及される。ただ、人事の裏事情に詳しい管理職なら、口先では育成を唱えつつ、腹では醒めた気持ちになっているかもしれない。
一体、人材開発は果たしてどこまで可能なのか。その1つの答えがコンピテンシーや人材アセスメントにある。コンピテンシーについては、そもそも百家争鳴で定義すら定まらないが、ここでは人材アセスメントの評価基準という程度の意味合いである。よくコンピテンシーは、高業績者/ハイパフォーマーの行動特性で、これは他の誰もがマネられるという脳天気な解説もある。しかし、そんな話にはあまり現実感はない。
コンピテンシーに関して、AGP行動科学分析研究所では、従来からある心理測定概念である「資質特性」(psychological
aptitude)に対して、「行動特性」(behavioral
aptitude)であるという考え方を示している。行動特性とは、観察された行動そのものなので、測定はできないが、何らかの意味で職務上の成果の一局面であり、結果/成果である。このうち、資質特性は大半が生涯にわたってほとんど変わらないといわれ、そのことが前提で、心理テストが実施されている。
※心理学では観察事象は測定できないので、測定可能のために尺度を設定していく。複数の指標によって支えられる事象を「構成概念」という。「有能な人」というのは構成概念であり、測定できないので、複数の測定可能な指標で間接的に把握されることになる。
私自身、長年、人事系コンサルタントをした経験を踏まえて、心理テスト開発の世界に参入したが、もともとこの世界にいた人は、人材開発の可能性を語ることや、開発可能で測定できるというコンピテンシーという怪しげな概念を語ることをかなり嫌う傾向にある。実際には開発可能で測定できる特性などは実在せず、チルチルミチルの求める青い鳥のようなもので、かなり例外的にしか存在しない。さりとて、長年に蓄積されたパーソナリティ心理学の通説は専門家以外にはピンと来ないものでもある。
コンピテンシー/行動特性に関して、人事アセスメントの通説は、次のような開発可能性を示している。それによると、プレゼンテーションや計画組織力は開発可能だが、多くの行動特性は開発が困難なのである。開発可能性が高いものは研修などでも習得可能だが、低いものは本人がかなり本気になってもあまり変わることがない。例えば、ロジカルシンキングなどの本もたくさん出ているが、実際には思考力系の能力はほとんど開発されない。すでに基礎が十分備わっている場合のみ、洗練化されていくに過ぎない。開発可能なコンピテンシーは、実は50も60も列挙してせいぜいその1割か2割にも満たないのだ。
さりとて、ここで注意したいのは、一部のコンピテンシーは開発が可能であるし、人間の行動は一定の可塑性で変化するということだ。またハイポテンシャルな人材が労(何の教育も)せずにハイパフォーマーになるわけではなく、その多くは意欲を失ったり、十分なスキル形成を行なえず、失意のまま、組織に埋もれていくという事実も現実である。つまり、人材育成そのものを否定すべきではない。なので、今後は、開発可能性を考慮した人材育成やサクセッション・プラン(次世代リーダーの育成)を考えないといけないだろう。
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