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7月下旬。ワシントンから車で3時間ほどのところにあるデラウェア州のレホバスビーチは、休暇を楽しむ人々で賑わっていた。波と戯れるカップル。砂遊びをする子供たち。ビーチパラソルの下で読書にふける中年の男性。次の高波を待つサーファーたち。
毎年よく見られる光景だが、違和感を覚えたのは、イラク戦争やロンドン地下鉄テロ事件関係の新聞記事を読んだ後だったからに違いない。目の前に広がるこの一見平和な世界は本物だろうか。
2001年の9.11同時テロ事件直後の数ヶ月、ワシントン周辺では昼夜、ヘリコプターが飛び交った。緊急テロ対策の一環だったのだろうが、真夜中、荒々しい音を響かせて低空飛行するヘリコプターに何回となく目を覚まし、「何事だろう」と窓から暗闇を見上げたものだ。
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あの事件からもうすぐ5年。アーリントン上空を旋回するヘリコプターを目にすることはあまりないが、レーガンナショナル空港を離発着する飛行機を見る度にあの飛行機は大丈夫だろうかと一瞬、今でも不安が脳裏をかすめる。常々抱いていた地下鉄に対する不安心理も、7月のロンドン連続テロ事件でさらに悪化した。できることなら地下鉄にはもう乗るまいと思う。
9.11事件以来、米国では大きなテロ事件は起きていない。にもかかわらず、「生活が元に戻った」という実感がない。逆に、ますます住みづらくなってきた。空港や他の公共施設では物理的制約が増え、何事にも時間がかかる。テロを警戒するあまり、テロとは無関係の一般庶民が犠牲を払わされることだってある。ワシントンダレス空港の手荷物検査では、ひげそり道具用ケースに入れておいた小さなハサミが凶器になり得ると見なされ取り上げられてしまった。以前は何の問題もなかったのに。
こうした物理的制約が米国人の生活をより不便なものにしていることは言うまでもない。ただその一方で、自分も含め皆の安全のためであれば、仕方のないことだとも思う。徹底した検査は、一時的にせよ、安心感さえ与えてくれる。
しかし、テロ戦争がもたらしたのは物理的制約だけではない。何事も「警戒眼鏡」をかけて見なければならないという精神的制約にも縛られるようになった。飛行機を見ると、地下鉄に乗ろうとすると、手荷物が目に入ると、不審な人を見かけると、無意識のうちにこの「警戒眼鏡」を使っているのだ。こうした精神的制約が積もり積もってストレスとなり、住みにくさの大きな要因になっているように思う。
こうした物理的、精神的制約を逃れようと週末やってきたレホバスビーチは、リラックスしていて、実に平穏に見えた。でも、あのエジプトのリゾートホテルの惨事がここで起きないという保証があるだろうか。
やはり、今日だけは新聞を読むのはやめておけばよかった。そう思いながら、打ち寄せる波に飛び込んだ。
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こうした物理的制約が米国人の生活をより不便なものにしていることは言うまでもない。ただその一方で、自分も含め皆の安全のためであれば、仕方のないことだとも思う。徹底した検査は、一時的にせよ、安心感さえ与えてくれる。
しかし、テロ戦争がもたらしたのは物理的制約だけではない。何事も「警戒眼鏡」をかけて見なければならないという精神的制約にも縛られるようになった。飛行機を見ると、地下鉄に乗ろうとすると、手荷物が目に入ると、不審な人を見かけると、無意識のうちにこの「警戒眼鏡」を使っているのだ。こうした精神的制約が積もり積もってストレスとなり、住みにくさの大きな要因になっているように思う。
こうした物理的、精神的制約を逃れようと週末やってきたレホバスビーチは、リラックスしていて、実に平穏に見えた。でも、あのエジプトのリゾートホテルの惨事がここで起きないという保証があるだろうか。
やはり、今日だけは新聞を読むのはやめておけばよかった。そう思いながら、打ち寄せる波に飛び込んだ。
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Copyright by Atsushi Yuzawa 2005
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