毎月15日発行
第22回:イラク問題に見る市民社会


イラク戦争は泥沼化しています。僕がシカゴに来た2ヵ月後9月11日にテロはありました。テロがあったのは午前中。夜型生活だった僕は寝ていました。日本からテロを知らせる電話で起こされたのです。寮の一階に降りると、大勢の学生が大きなテレビでテロの映像を見ていました。そして、そこからアメリカはイラク戦争へと進んでいったわけです。現在、イラク戦争は泥沼化しています。フセインは拘束されましたが、大量破壊兵器は見つかりませんでした。ビン・ラディンもまだ見つかっていません(実はいつでも拘束できる状態なのだけどブッシュが選挙用の材料としてまだとっているというゴシップもあります)。石原慎太郎的な人気があったラムズウェルのコメントは日に日に意味不明なものになってきています。

この戦争は様々なものを見せてくれています。例えば、テロ直後には街に異様な数の星条旗が掲げられていました。戦争は常に“侵略”や“破壊”ではなく、“開放”や“自衛”というロジックで始まるということもよく分かりました。今回は、その中から2点のことについて書きたいと思います。

最初は、アメリカのメディアの情報についてです。情報の操作です。アメリカにいるため、この国でどの程度情報が操作されているのかを推測することは簡単ではありません。ただ、ある意図をもって情報の多くが取捨選択されていると感じます。

アメリカ兵によるイラク兵捕虜の虐待の報道は良い例です。
5月4日の新聞の一面にアメリカ兵によるイラク兵捕虜の虐待が報道されました。これはかなりショッキングなものでした。裸の男性イラク兵の性器を女性アメリカ兵が加えタバコで指差しているのです。実名報道でした。ブッシュはすぐに、虐待の事実は認めたものの、「それは一部の人間のしたことであって、アメリカ人を代表するものではない」とコメントを出しました。そして、すぐに虐待の証拠写真に載っているアメリカ兵について調べたのです。彼女の名はリンディ・イングランド。ウェストバージニア州出身の女性兵士でした。マスコミは彼女の生い立ちをあっというまに明らかにしたのです。
彼女の家はかなり貧しく、家族はトレーラーで生活していました。貧しいため、教育も良くありません。彼女は、いわゆる、ホワイト・トラッシュ(白人の貧困層)だったのです。この出自が明かされると人々は安心してしまうのです。「ああ、彼女はホワイト・トラッシュだからね」というわけです。極貧で、教育も良くなく、そういうことをしてもおかしくない人たちであり、決して彼女たちは良識のある典型的なアメリカ人ではないというのです。

もちろん、虐待は彼女一人で行えるわけもありません。ただ、あたかも虐待は組織的なものではなく、ある一部の行き過ぎによってなされたものだという印象を与える報道となっているのです。そして、彼女の出自がそれをサポートするために、使われているのです。「ホワイト・トラッシュのしたバカなこと」なわけです。

この報道は、イラクで捕虜となって救われたアメリカ兵をめぐる報道と比べてみると情報が意図的に取捨されていることが良く分かります。イラクによって捕虜となり救出されたジェシカ・リンチはあたかも英雄的な報道のされ方です。実は、イングランドもリンチも同じウェストバージニア出身で、同じように貧しい家庭の出身です。ただ、このことはほとんど報道されていません。同じ出自ながら、彼女だけが善良で勇敢なアメリカ人で、イングランドはとんでもないホワイト・トラッシュという報道なのです。

報道しないというのも意図的な報道です。報道は、あることに光を当てる一方で、あることを忘却させてしまうのです。これはアメリカだけではありません。日本でも、報道されていないことや意図的に取捨選択がなされた報道がされているでしょう。1994年に天皇がニューヨークを訪問した時、アメリカに住む多くのアジア人たちが抗議集会を開いたことはほとんど日本のマスコミで報道されることはなかったのです。あたかも祝福ムード一色のなかワシントンやニューヨークを訪問したかのようであり、日本人が他のアジア人にどのように見られているかを忘れさせてしまう(もしくは思い起こさせもしない)報道です。

インターネットが普及して、情報のチャネルが多様化しているとはいえ、情報全てを得られることはありません。すでに誰かによって取捨選択された情報しか手に入れることはできないのです。その中でどのようにして重要な意思決定を理解し、それに参加していくかは市民社会の大きな問題です。 

もう一つ気が付いたことは、大学生の意識についてです。大学生のブッシュに対する姿勢は批判的なものがほとんどです。『ボーリング・フォー・コロンバイン』で一躍有名になったマイケル・ムーアは『華氏911』を撮って注目を集めています。去年ムーアがノースウェスタンに来たのですが、その時もすごい人気でした。Smash Bush!やEmbarrassing Bush!などといったステッカーもちらほらあったりします。



ブッシュに対しては批判的なものの、大統領を変えればそれで問題は解決するという見方はあまりないようです。僕のTAのクラスをとっていたジェシカなどは、「『大統領が悪い』とか、『政治家が悪い』と言ってみたところで、Nothing New。」と言っています。「政治家が悪い」という批判は、実は問題の所在をあいまいにしているだけで、何の解決策も提示していないわけです。大統領を変えれば良いというのも、「悪い政治家」を辞めさせて、「良い政治家」が現れるのを待つもので、いつ現れるかも知らぬ英雄を待っているようなものです。パンクした車を見て、「タイヤが悪い」といっているのと同じです。なぜ悪くなったのか、なぜ良くならないのかは、社会のシステムの問題として考えなければ、解決策は出てきません。悪くなったタイヤをただ交換しても、またパンクするかもしれないのです。

ここまで大学生は考えています。理科系の基礎教育は日本の高校レベルだとか数学は中学生程度だとか言われていますが、しっかりと自分の意見を持っている学生も多いのです。ノースウェスタンの学部生などと接していると、とても賢いことが良く分かります。情報が歪曲されて伝えられていることも理解しています。彼らはイラク問題についてかなり大人な意見を持っています。

ただ、彼らは完全に傍観者です。冷めた目で見ています。イラク戦争を鋭く分析したりしますが、関係ない世界の出来事のようでもあります。社会とあまりシンクロナイズドしていないのです。

なぜでしょう。まず、自分の主義主張を相手に熱っぽく説いたりするのはクールではないのです。それでは何がクールなのかというと、リベラルであることなのです。「~すべきだ」とかいう主張を他人に押し付けるのはリベラルではないのです。他人には他人の関心や主張があって、自分には自分のそれがある。それでお互いが迷惑をかけずに、快適に暮らしていく方法を見つけようという考え方です。これは市民社会のリベラリズムの基本的な考え方でもあります。大学生たちはこの傾向がかなり強いように感じます。草の根の反戦運動をしている人たちの多くはベトナム戦争の世代なのです。リベラリズムの教育の成果の意図せざる結果かもしれません。

社会が複雑になってきていることも大きく関係しています。ノースウェスタンの学生の考え方は、少し保守的ではありますが、コスモポリタンだと思います。ただ、自分がコミットするコミュニティは狭いのです。1970年代から80年代は、反体制、反社会的な運動がアメリカで起こりました。ただ、この反社会的であるけれども、それは極めて社会的な行為だったわけです。社会を変えるための運動だったのです。今の大学生たちは一見とても社会的に見えるものの、その根本にはどうも脱社会的な姿勢が垣間見えます。自分の世界を大きな世界からどんどん切り離していっているようでもあります。

なぜでしょうか。これは社会の複雑性と専門性が増していっているため、自分が影響を及ぼせる範囲がかなり小さくなってきているのです。自分の手の届かない範囲がどんどん広がっていっているわけです。自分のコミュニティはどんどん小さくなっていってしまいます。その結果として、だんだん脱社会的になってきている気がします。政治家を変えればそれで済むという簡単な問題ではないということが理解されている一方で、自分の及ぼしうる範囲は狭まってきているのです。その結果の傍観なのです。この前の選挙も若年層の投票率はかなり低いものだったと言われています。今のところ、大学生による反戦運動が大きな盛り上がりを見せているということは聞きません。

ブッシュ政権はすでに13兆円を超える額をイラク戦争に投入しています。イラクの全国民にこの額を配分したとすると、およそ53万円になるのです。これは、イラクの国民所得の8倍に近い金額です。ブッシュは今度の大統領選挙で再選されるかもしれません。共和党は多くの組織票を握っているからです。情報は意図的に取捨選択され、伝えられ、知的なエリートたちは社会の出来事に関心を持ったとしても、そこにコミットメントはなく、組織票のみが政治をリードしていきます。社会の専門性と複雑性が増し、リベラリズムの意図せざる結果として、政治を通じての社会変革への若者の期待は少ないものとなっています。社会を分析する目が鋭くなればなるほど、自分のコントロールできる範囲の小ささが認識されてきてしまうのです。これはアメリカだけの問題ではありません。「市民社会」をどう構築していくかはかなり大きな問題です。




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