第19回:学費の高さとリターンへの意識
シカゴもようやく春らしくなってきました。一番良い季節まであと少しです。新緑が待ち遠しいです。
先月は、アメリカと日本の学費を比べてみました。日本と比べると、アメリカの学費が高いことが分かりました。それでは、学費が高いとどのようなことが起こるのでしょうか。
まず、授業1回あたりの授業料も当然高くなります。おおまかに、1回の授業の値段を計算してみると、一橋はおよそ350円、ノースウェスタンは2750円となります。これはかなりの違いです。マクドナルドのビックマックと、グランドハイアット東京のフォアグラぐらいの違いです。
学費は自分に対する投資です。高い学費は大きな投資です。大きな投資をする場合には、それだけリターンも大きくなければうまい投資ではありません。学費が高いと、学生はリターンに敏感になるのです。単に学位をもらう、あるいは良い成績をとるということだけでは、あまりにも高い投資です。高い学費は、「自分は何を学んだのか」ということに敏感にさせてくれます。
今学期はTA(ティーチング・アシスタント)をしているので、学部生たちに期末試験についてアンケートをとったことがあります。選択肢は、@テストはせずに、レポートの提出にする、Aテイクホームのテスト(朝にテストが配られて、夕方までに提出というもの。家に持って帰ったり、図書館でやったりするのです)、もしくは、B普通のテストを行うという3つでした。日本の場合には、学生は@かAを選ぶでしょう。その方が準備が楽だからです。ただ、多くの学生はBを選んだのです。しかも、その理由の多くは、普通のテストだとしっかり準備をしないといけないので、自分はきちんと学ぶはずだというのです。
学生の授業の評価を見ても「学ぶ」ことに対する敏感さは分かります。学生は最後の授業で、授業評価を行います。もちろん無記名ですし、成績を出すまで教師もその評価を見ることはできません。学生は自由に評価を書けるわけです。この評価は学期が終わると誰でも見ることができます。授業をとるときの参考にしたりするのです。この評価を見ていると、「授業が楽かどうか」とか「成績が厳しいかどうか」というコメントはあまりありません。多いのは、「学ぶべきことがあるかどうか」ということに対するコメントです。例えば、「アサインメントやテストは結構厳しいけど、必ず学ぶものがある」とか、「学ぶものがないから、この授業はとるな」とかなどが多く書かれています。もちろん、「この教授はおしゃれでかっこ良い!」などのコメントもありますが、圧倒的に多いのは、「自分が学んだかどうか」、「学ぶものがあったかどうか」についてのコメントです。学生は「授業が楽かどうか」ということよりも、「学ぶことがあるのかどうか」、「どのようなことが学べるか」を気にしているのです。
また、僕の友人にフィリピンからの留学生がいます。MBAの取得を目指しています。フィリピンでローンを組んで来ているそうです。アメリカで就職を希望しています。フィリピンで就職した場合には、借りたお金を返すのに何年もかかってしまうからです。アメリカで良い職を得られれば、数年で返せるわけです。ただし、2001年9月11日のテロ以降、外国人がアメリカで職を得るのは難しくなっています。そのためは、まず良い成績が必要です。ただ、それだけではダメです。競争は激しいのです。彼女は、できるだけ多くの知識を身につけて卒業しようと考えています。出席できるセミナーにはできるだけ参加し、学べることはできるだけ学んでやろうという意気込みです。これは彼女のパーソナリティがそうさせているとも言えますが、自分に対して高い投資をしていることも大きな要因です。できるだけ多くの知識を身につけて、卒業しないと損なのです。
このように、学費の高さは、「学ぶこと」について敏感にさせてくれます。ただし、学費が高いばかりでは、大学に進学できない人もかなりでてきてしまいます。高いばかりではなく、金銭的なサポートは充実しているのです。ノースウェスタンの学部生の場合は、3分の1ぐらいの学生がなんらかの金銭的なサポートを受けています。大学やその他の機関から奨学金をもらっていたり、Work-Study
Program(大学で働きながら勉強するプログラム)だったりします。大学院になるとサポートはさらに充実しています。博士課程ではほとんどすべての学生がサポートを受けています。多くの学生が受けているサポートは、大学のフェローシップです。授業料免除で、生活費もくれます。返還義務もありません。僕もこのサポートを受けています。学費を高く設定する一方で、奨学金を充実させるという仕組みです。
アメリカには2年制、4年制の大学をあわせて3500校以上の大学があります。そのため、学費が安いところも高いところもあるでしょう。州立大学か私立大学かによっても学費は変わるでしょう。また、日本との単純な比較も問題はあります。日本の大学の学費が安く抑えられているのは、国からの援助が多いからです。つまり、実際には税金という形でとられているわけです。アメリカとはシステムが違うので、学費を単純に比べるのはフェアーではありません。
ただ、高い学費はリターンに対する強い意識を生んでいます。大きな投資をしていて、単に学位をとるということだけでは、高すぎる投資なのです。高い投資に見合うだけのものは用意されていると思います。だからこそ、その学費の高さにかかわらず、世界中から学生が集まってきています。高い投資となるか、安い投資となるかは自分しだいです。日本の大学も、奨学金を充実させた上で、学費を高く設定するというところがでてきても面白いかもしれません。
学費の高さと、リターンに対する意識は、フィットネスクラブと会費の高さに似ています。高いフィットネスクラブの会員になると、「もったいない」といって足繁く通い、いろいろな設備をすみからすみまで使ってやろうと思ったりします。安いフィットネスクラブだと「まあ、たいした額じゃないし」といってなかなか行かないというわけです。「自分に対する投資」という感覚をどのように敏感にさせるかは、“教育”にとって大きな課題かもしれません。
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