はいぐんのしょう、へいをかたらず・・・・・ |
「史記」「淮陰候伝」の項にみられる逸話です。そのストーリーの概略は下記になります。
「漢の武将である韓信は、有名な『背水の陣』を敷いて兵をふるいたたせ、趙の大軍を破ったのでした。この戦いの後、韓信はさらに進撃し、趙の部隊を急追するために山あいの挟道を進むことを選びました。これを知った趙の戦略家であり、著名な勇将、李左車は漢の部隊を挟撃することを趙の宰相、陳余に具申します。
しかし、李左車の進言は採り入れられず、韓信は予定どおり挟道を通過して勝利を収めました。
もし、陳余が李左車の進言を採用していれば、漢の部隊を分断し一気に撃滅できていたかもしれません。陳余は捕まえられ、斬り殺されましたが、韓信は李左車の才を惜しんでこれを殺さず、かえって手厚く遇したのでした。
後日、韓信は北方の仇敵である燕を攻めるに当たって、その戦略を李左車に尋ねましたが、李左車は『敗戦の将である私は兵法・戦略を語る資格はありません』と言って、作戦を語るのを断ったとのことです。
年輩のサラリーマンの話を開いていると仕事上の自分の経験を「もし、あのとき…していれば」とか「…していたならば…」など、「れば、たら」の条件をつけて、得々として話をする人がいます。
つまり、自分の意見を入れなかった上司や、会社の方針が誤っていたことを、アピールしているのです。
しかし、このような話はあまり聞きよいものではありません。成功者として勝者の立場にある人が、反省したり、自慢話をするのはまだしも、敗者として現在の要路にいないときに、仮定に基づいた結果など述べても意味がないからです。
若い人から見れば「また○○さんの昔話が始まった」ぐらいに受け取られてしまうのがおちでしょう。
「漢書」「賈誼伝」には「前車の覆るは後車の戒め」ということが訓言として示されており、失敗の経験を生かすことは必ずしも意味のないことではありませんから、そのつもりで拝聴しておくのがオトナの態度かも知れません。
さらに、韓信の取ったやり方には学ぶ点があります。それは李左車が「敗戦の将は、兵を語らない」と固辞したのも立派ですが、韓信が、あくまで敗戦の将の意見を求め尊重したのは、さらに立派だったと考えるからです。
つまり、敗軍の将のあり方は、謙虚で多くを話さないことに徹するべきですが、勝利者の立場にある人は進んで「敗者に復活する機会を与え、その意見を求める」態度が必要なのではないでしょうか。