はるをたずねて、はるをみず・・・・・ |
中国の古詩に戴益作として伝えられた「早春賦」のなかの一旬です。
ある早春の一日、春の趣きを求めて一日歩きまわったところ、まだ冬の景色が目立ち、春らしい風情に出会うことができなかった。しかし、自分の家に立ちもどって来たところ、門前の梅が、ほころびはじめたのを見つけ、そこに春が訪れてたのを知った」というものです。最後の部分は「枝頭にあって、己に十分」となっています。
この詩歌は人生の寓話として受けとめることもできます。西欧童話の、「青い鳥」のことはよく知られています。チルチルとミチルの兄弟が数々の冒険の旅を経て、探し求めてもどうしても手に入らなかった『幸福の烏』は、家に帰ってみたら、庭先で鳴いていたというものです。
臨済宗の名僧では白隠禅師の和讃のなかに「遠くにもとめるむなしさよ」という一旬があり、禅宗の教えにも共通したものがあるようです。
なにが自分を幸福にし、豊かにするのかという問題をつきつめてみたとき、「自分の心構え如何である」ということを教える中国の訓言は数多く見出すことができます。
その代表が、「足るを知る」ということでしょう。
目標を高め、追求する欲望のハードルを高くすればするほど、達成したときの喜びは大きいものです。しかしその反面、次第に可能性は少なくなり、失敗や苦しみのなかに落ち込んでしまうことも多くなります。
平穏な日々はなくなり、懊悩は深く、健康さえも害してしまうような心労を味わなければならなくなるのです。
老子・三十二章には「足るを知る者は富む」とあります。
また四十四章では、「足るを知れば辱められず」とあり、自分の能力をわきまえ、天の運行の摂理を悟ることにより、「富裕である」とおなじ結果になると説いています。
一般的には、「足るを知る」ということはやや消極的で、適当なところで努力をするのをやめてもよいとか、事業の欲を棄てることをいっていると理解されていますが、さきの三十二章をよく読んでみると、「自己にうち勝つことが必要であり、自分にうち勝つものが其の強者である」と説いているのです。
欲が多く、常に不満の多い人は自らが幸福になれないのみならず「禍は足るを知らざるより大はなく、告は得るを欲するより大なるはなし」(老子、四十章)のように世間に害を与えることが大きいと指摘しています。