にんげんごじゆうねんゆめまぼろしのごとくなり・・・・・ |
織田信長が出陣の時好んで舞ったという幸若舞の謡曲の一節にでてくる言葉です。「一度生を得て、滅せぬ者のあるべしや、螺ふけ、具足をよこせ」と続きます。
当時の武将は能役者を重用しただけでなく、すすんで一つの教養として自らも研蹟し、子供にも教えたものです。
桶狭間の合戦において、今川義元の率いる二万五千の軍に対し、わずか四千名の手勢で急襲し勝利をおきめた戦、その出陣に際して舞ったことが有名です。
このストーリーは史実として伝えられていますが、実は信長の祐筆として仕えた太田牛一作の「信長公記」にでてくるものであり、実際にこのような勇ましい情景があったかどうか、真偽のほどは疑わしいとされています。
しかし、信長の生涯について文献を調べてみると、常に死を覚悟して終始精一杯に生き貫いた彼の姿が浮かんできます。
「人生五十」という言葉は、その後一人歩きして、単に寿命を表現することも多く、「人生五十といわれますが、最近では人生八十というように長命になっています」などと使われます。
現在の生涯設計セミナーなどでは、必ずといってもよいほど講師が引用しているのですが、残念ながら「五十年間を力一杯生きよう」という信長の真意の通りに使われず、「老後を楽しく、豊かにしよう」という生き方を説くときなどに使われているようです。
しかし、老後の生活にプラスにしようと考えるあまり、企業などの組織で働いているにもかかわらず、職場での仕事について全力を尽くさず、趣味の生活に力点をおいて、詩歌などの文学関係や絵画、美術方面に関心をうつしているのはいかがなものでしょうか。
「あの人は文化人である」とか「学者肌である」などという評価は決して褒めているのではなく、仕事に賭けている人というイメージからは離れてしまうようです。
業務上の生活が忙しいなかで趣味も生かして、余暇を楽しむというあり方こそサラリーマンには望ましいようです。ましてや、ゴルフ、マージャン、競馬などに夢中になり、その影響が勤務の上でマイナスとなって現れるようでは困りものです。
また定年間近になり、再就職を依頼しに来られる人々の話を聞いていますと、在職中にもっと実力を就け、企業の中で働いている時代の業績が自然に次の生活につながって行くような生き方が望ましいと感じられることが少なくありません。