とおりゅうもん・・・・・ |
「後漢書・李膺伝」にあり、頻繁に使われる熟語です。「竜門」は黄河の上流、山西省と陳西省との間にある地名で、鯉がその急流を登りきり、川幅の広いところまで達することができると竜になるという伝説があるため、そのように名付けられたといわれています。
後漢の末期、二世紀の後半に、宦官が絶大な権力を握っていましたが、この政治体制の粛清運動をおこしたのが、当時の警察長官の役目を果たしていた李膺という人物でした。
彼は儒教を堅持し、厳正公平なテストを行い、若手官僚の登用をはかったのでした。この試験にパスした人は、幹部として大いに活躍して出世したので、受験者が多く、いわゆる「狭き門」と考えられるようになりました。「後漢書」では「士その容接を被る者あれば、名づけて登竜門という」。つまり「試験にパスして李膺のおめがねにかなった人がいると、竜門を登った人であると呼ばれた」と綴っています。
中国には科挙という官僚の登用制度があり、難関をきわめたという逸話が多く残されています。
わが国での登竜門の最難関には上級公務員試験や、司法試験などがありますが、これらに限らず、資格検定試験や、企業内の幹部登用試験など、いずれも「登竜門」と呼んで差し支えありません。
しかし、登竜門をパスしたからといって、全く安心していてよいというわけではなく、実はそれからが本当の勝負であり、未知の部分が多いのです。
次のような失敗例も多くあります。
①試験に合格したことを鼻にかけ、それだけで偉くなったつもりになり行動する。
②自分一人の力で試験にパスしたような気になり、お世話になった人の恩を忘れてしまう。
③難関を突破することで力を使い果たし、その後余力がなくなり腑抜けのようになってしまう。
わが国のことわざのなかにも、「稲の穂は実れば実るほど頭を下げる」ということがあります。偉くなって地位が上がれば上がるほど、ものごしが丁寧になり、頭が低くならねばならないのです。かりに試験がうまくいったからといって地位が高くなった訳ではなく、世間は、その人の将来を嘱望しているというにすぎません。試験合格ということだけで、態度が大きくなるというようでは、とても「前途洋々」とはいえないのです。そればかりか、早期に挫折するのが見えているのです。
合格を期して、周囲の人々のお世話になったことを忘れず、人間関係を大切にしたいものです。