しそんのためにびでんをかわず・・・・・・ |
西郷隆盛の有名な詩句の一節です。この語句の前に「一家の遺事人知や否や……」があり、「西郷家の家訓としては、……」というように一族の訓えという形で残されています。
中国では一族のための訓えのことを「庭訓」といいます。孔子の子供である伯魚(字は鯉)が述べた言葉が「論語・季氏」にでています。「あるとき父が一人で座敷に立っていました。その前を私が走って通ろうとすると、父が『詩経を習ったかね』と尋ねました。わたしは、『まだです』と答えると、父は『詩経を習っていないとなると話すことがないな』といったので、その後早速詩経を勉強しました」というのです。
伯魚は、系統だって孔子からレッスンを受けた訳ではありませんが、庭さきで父との僅かな会話のなかから、何を学ぶべきかを知ったのです。
西郷隆盛の教訓は「自立」を説くものであり、孔子の教えにつながるものですが、一つの「庭訓」として伝えられたものです。
旧い商家の鴨居や額に、その家の家訓が大書されているのをまま見ます。たとえば、「現金主義、薄利多売」とか、「信用第一、顧客第一」などです。これは、長い経験から得られた教訓をその家の経営のコンセプトとして子孫に伝えているものです。
隆盛は、「敬天愛人」などの訓言を座右の銘とする漢学の素養の高い人でした。彼は、中国人が財を重んじ、それを一家一族のために残していくのを理想としていたことをよく知っていたと思います。
中国では新年のおめでたい言葉として、「新年快楽、恭喜發財」が使われ、どの家でも財産ができて、それが蓄積されることを最も大切としているのです。したがって子孫のために立派な田畑を買って遺すことは理想とされている筈です。
現在の日本の場合にあてはめてみると、税制の関係上、子孫に残していくような財産を蓄えるには、相当なテクニックが必要でしょうし、そのような財を一代で蓄財できる人はむしろ例外となっており、西郷さんの考えや、中国人の蓄財精神とはベースが変ってきています。
しかし、息子のためにマンションを買ってやろうとか、登記の上で工夫して「美田を残したい」と考えている人は少なくありません。財界の成功者にとっては、いわゆる二世の世代にどのように財を継続していくかは大きな問題です。
経営権や、社長の地位をいかにして、自分の子供に残すかを重大関心事とし、往々にして紛争の種となり、世間を騒がせたりします。