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創考喜楽

先人の知恵を拝借 故事百選 坂本宇一郎 著

百聞は一見に如かず

 

ひゃくぶんはいっけんにしかず・・・・・
いくら多くの情報を得ても、それだけをもとに判断しては危険です。現場まで赴いて自分の目で確かめることが大切です。実際に一目でも見ることは、多くの話を聞くより確実だといえます。

 「漢書」の趙充国伝に見られる逸話から生まれた言葉です。

漢の宣帝の時、キョウという遊牧民族が反乱をおこして、国内が騒然としてきました。宣帝は参謀の趙充国を召して鎮圧の作戦をたずねました。しかし、キョウはチベットの山地に住み、広く分布しているため、耳で聞いた情報はまちまちで、作戦が立てられなかったのでした。当時すでに七十歳を超えていた趙充国でしたが、「百聞は一見に如かず、兵ははるかに度り難し。臣願わくは駆せて金城に至り、図して方略を奉らん」と進言したのでした。

 

現地調査の結果、聞いていた情報とはだいぶ様子がちがい、結局騎馬による攻撃ではなく歩兵一万名を配することで鎮圧に成功したのでした。「見ると聞くとは大きな違い」というように「耳学問」や「象牙の塔」からでは現実の世界を見ることができないことのたとえです。「足でかせぐ」「犬も歩けば棒にあたる」なども類語であるといってよいでしょう。

 

聞いたことや書物から学んだことが、現実に体験したことと食い違うのはなぜでしょう。以下の三つの原因が考えられます。

 

 ①世の中は、常に変化していくものであり、過去と現在が大きくくいちがうことがある。
 ②国や地方の特色を説明する場合に、一つの傾向をあたかも全部そうであるかのように伝えることが多い。
 ③ジャーナリズムや旅行家などの説のなかに主観的な要素が強く織り込まれ、一般の人がそれを真に受けてしまう。

 

私は56ヶ国を訪問しました。ただし、だいぶ昔の経験も含まれています。南米には7年以上も駐在しましたが、これも過去のものです。注意しているつもりですが、外国の説明をするとき、「それは昔のことで、今は……ですよ」などと訂正されることもあります。古くさい情報は誤りを多く含んでいるものです。

 

また、私は、未知の土地を訪れるときは、その地の人文地理や最近の情報を集めて行くことにしていますが、その地に長く駐在している長老格の人の話を聞きますと、パターン化された旧式な説を聞かされることが多いのです。また挙げられてくる数字も、新しくないものが一人歩きしていることがしばしばあります。その場で訂正するのは失礼ですから黙って聞いて帰りますが、一般の訪問者に誤解を与える原因になっているようです。

 

短い期間にタクシーの運転手やホテルのボーイの言葉を綴り、大急ぎでまとめたレポートが、けっこう街に氾濫しています。それを鵜呑みにせず、自分で確かめることで、楽しみも増すでしょう。