努力の結果を待つ場合、やるべきことがすんだのなら、慌てず、焦らずなりゆきにまかせてゆっくり寝て待つような姿勢が望ましいのです。 |
この教えは、仏教の教義と人生の知恵を合体してできたようです。一般的に、「因果応報」とういことは、前世で施した慈善や殺生などの悪業がこの世で報われることをいいます。しかし、現世で実際に教義通りになるかどうかは、「神のみぞ知る」といえます。
凡人にとっては、結果を待つということは必ずしも容易ではありません。「待てば海路の日和あり」というように、待っていれば、やがて晴れ、チャンスが訪れてくるのに、焦って出発して暴風雨に遇うということは多々みられるところです。
なお、「果報」を正確に言うと「果」の方は、善いことをおこなったときによい結果が出るというように、因果が正しく廻ってくることですが、「報」の方は行為の結果がその原因どおりにならないようなむくいのことです。
いずれの結果がでるにしろ、「寝て待つより方法がないのだ‥‥」と開きなおった姿勢を教えているものです。
良い結果を得るには寝て待っていたのではだめで、働き、動きまわっていないと成果が上がらないというのが、普通の意識です。
特に日本のサラリーマンは、働き好きで勤勉という世界的な評価を受けており、時には働き過ぎが、批判されています。人間が怠け者であるより、働き者である方がよいことは当然であって、外国の人が批判したからといって、倒き者であることを否定したり恥かしがる必要はないと私は考えます。
しかし終始走りつづける人生は、結果的に貧しいものに終る可能性もあるわけで、時には緩急をつけたり、立ちどまり考えることも必要ではないでしょうか。
株の相場師で著名な人から次の話を開きました。相場をやる場合に「売り、買い」の二つの方法の他に、「休む」という方法があるとのことです。
どのような相場商品も、株価も、常に動いており、上がったり下がったりしますが、いつも「売ったり買ったり」相場をはっているだけでなく、一時的に静観して手を打たず、いわゆる「模様ながめ」をするのが大切です。このことを「三休」といいます。この「模様ながめ」が、結局利益につながるのです。
「果報は寝て待て」は良い結果を得るためには、寝て待っていればよいということでなく、「やることをやってしまったら、クヨクヨしたり、無駄な動きをしない」ということです。これは、勤勉であることと、休暇をとることは矛盾した関係ではないということです。