くんしのまじわりはあわきことみずのごとし・・・・ |
「荘子」の「山木篇」に「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」とあり、我々の職場の付き合いや、日常での交友関係に参考となる格言を遺しています。
「物事をよくわきまえた人の交際は水のようだ」と述べた後に続いて「つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘く、ベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招きやすいものだ」と述べています。
「醴」は甘い酒のことをいい、ここではと甘酒を対比して、交際のやり方を比喩で示していると見てよいでしょう。
一般の解釈のなかには、君子を教養人とし小人は教養程度の低い人を指しているのだという説もありますが、必ずしも学問をしている人や読書の多い人が水のように淡い交際をしているとは限らないと思います。
学歴が高く、地位が高くても、濃厚な交際を好み、つながりを強めるために「甘い交際」を進める人びとも多く見られます。
「親友」という関係は、別の観点から取扱うこととし、ここではごく一般的な社会生活のなかでの交友について考えてみます。
海外での外国人との付き合いの経験を重ねるうにち、「家族ぐるみの親しい社交」が好まれると同時に、プライバシーにまで立ち入ることはタブーであり、決まったルールのなかで深い付き合いができるということが分かりました。
たとえば、宗教上の習慣にはお互いにたち入ったり、干渉したりしないなどです。クリスチャンは、日曜日の午前中は礼拝に行くのが普通ですし、それぞれの宗教上の祝祭日には訪問しないという暗黙の了解があります。
英国のジェントルマンとの交際は、われわれ日本人にはものたらず、あまりにも形式的な感じがします。彼らの本音の部分には一般的にいってなかなか踏み込めません。しかし、彼らは友人関係を大切に、長い付き合いが可能です。「あのとき、イエスと言わなかったのは、君の方の情況を考えたからだよ」などと、何年もたってから言われて、やっと真意を理解したこともありました。
これに反してラテン系のスペインや、イタリアの方々とは、すぐに甘い交際に入って親しい関係ができますが、長続きさせるのはなかなか難しい感じです。
中国の人びととの交際では、やはり淡い関係が大切にされていることがよく分かりました。しかし、相互に人物の能力をよく見るということが前提にあるようです。