そうこうのつま・・・・・ |
後漠の光武帝の姉にあたる湖陽公主という女性が、夫を失い再婚先を物色していました。光武帝は、臣下のなかで信頼もできハンサムな大司空(司法長官)の宋弘がよいと考え、「身分が高くなったら友人を変え、金ができたら妻を変えるという諺があるが、貴公はどう考えますか」と彼の意中を打診しました。
この問いに対して、宋弘は、「私の聞いておりますのは、高貴になっても貧乏時代の友を忘れないし、一緒に苦労した旧女房を殿中から下げるようなことはしないものだという教訓です」と答えました。さすがの光武帝も、見込みがないと湖陽公主に述べたとのことです。これは「後漢書・宋弘伝」の逸話です。
古代中国では第一夫人、第二夫人など何人もの妻をめとることがあり、無理な注文ではありませんでしたが、宋弘は、妻のためにはっきりおことわりしたのでしょう。
わが国では、「内助の功」という言葉が知られていますが、女性の社会進出が一般的になるにつれ、この表現は古くなっています。また、荊のかんざしをしているようにつたない妻という謙遜した言葉で「荊妻」という表現があります。こちらは現在でも死亡広告等で見かけられます。
現代のサラリーマンは自分の妻のことをワイフ、女房、かみさんなどと呼んでいることが多いようです。子供や孫ができれば、ママ、かあさん、ときにはおばあちゃんなどと愛称していることもあります。
いずれにしても、女性の社会的地位が上り、金ができても妻をとりかえるなどは考えられず、「糟糖の妻」は死語に近くなっています。
むしろ自分が定年を迎え、家でゴロゴロするようになれば、夫人の方が活発になり、めんどうを見てもらわねばならなくなるはずです。
「粗大ゴミ」とか「濡れ落葉」などは、旧い亭主の別称として通るようになってきました。また、「定年離婚」という言葉さえ生れて、サラリーを持って帰らぬようになったとたん離婚話がもち上がってくる世相だとのことです。つまり、「糟糖の妻」ならぬ「精糖の夫」の時代に入ろうとしているようです。
夫婦で苦労してきた時代に、妻の方からも「夫は苦労して、自分のことをよく考えてくれた」という思い出がないかぎりその危険性は高い訳です。
また、「細君」というのは、中国の故事である「夫人おもい」の逸話から生れたものです。
漢の東方朔という、老爺の家郎は、ひょうきんな人で知られていました。皇帝が夏の盛りの三伏の時に臣下に贈る肉を、役人の来る前に剣で小片を切りとって家へ持って帰りました。その知らせに皇帝は東方朔を呼び、理由を聞きましたところ、「細君に贈りました」と白状しました。皇帝は笑って、さらに肉と酒を贈ったとのことです。