十八史略の唐の章に述べられている杜如晦にまつわる逸話から出た成語です。
唐の初代皇帝である高祖(李世民)は始め長子の建成を太子とし、次男世民を秦王、三男元吉を斉に封じようとしていました。しかし傑出する世民をねたんだ兄と弟が、世民の名補佐役であった杜如晦を地方にとはしてしまおうと企み、高祖に働きかけて、いろいろ画策しました。そのときに、世民の忠臣である
房玄齢は高祖に進言して、これを阻止したのでした。
そのとき、彼の述べた言葉は「余人は惜しむに足らず。如晦は王佐の才なり。大王、四方を経営せんと 欲せば、如晦にあらざれは不可なり」というものです。つまり「王が、唐の国を本当の大国にしようと変えるならば、補佐の才の秀れた如晦をはずしては駄目です。ほかの人に変えることはできません」といったのです。「余人に変えがたし」という言葉もよく使われるものです。
やがて、この兄弟が世民を亡き者にしようと実力行使を計画しているうちに、優れた補佐職たちの進言で逆クーデターである「玄武門の変」を決行し、世民は第二代の皇帝に即位したのでした。
類語としては「王佐の材」という言葉があり、これは、「漢書・董仲伝」にみえます。ほとんど同じ意味ですが、漢書では、王の補佐職として、平和な治道を補佐する人と、武力による天下征圧の補佐、つまり覇道における補佐に長けた人材を使い分けています。
日常の職場のことを考え合わせてみても、漢書にあるようなこの2つのタイプに代表されます。
1つは、内部管理型といえるようなブレインの役割を果たすタイプです。つまり、企画や戦略を考える才があり、また内部の総務、経理などに明るいのが特徴です。
1つは積極攻撃型で、たえず外部の人と接触して、難しい折衝をしたり、良質な情報をもたらす補佐役です。つまり、長となる人の手となり足となり活躍するタイプといえましょう。
この2つのタイプが、軍の両輪となって、トップを支援することによって、組織がうまく機能することになるのです。さきの十八史略の逸話のなかでは、房玄齢の果たした役割も大切だと思います。
つまり、補佐職の能力を引き出すのは、トップであったに違いありませんが、しばしば中傷や謹言がその中に入り、「王佐の才」のある人物を左遷してしまうようなケースが起こります。
「良薬は口に苦し」の諺のとおり名補佐役はしばしば、きびしいアドバイスをしますから、上に立つ人は心を広くして受け取る必要があります。
身を挺して忠告した房玄齢が立派であると同時に、それを聞き入れた世民も大きな人物なのでしょう。
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