原典にはこの熟語そのものは見あたりませんが「韓非子」「楊権」編に「反れ、物には宜しき所あり、各々その宜しきに処る。材は施うる所あり、各々その宜しきに処る。故に上下為すなし」とあります。この原典はやや難解で理解しにくいので、その現代訳を記してみます。
「この世にあるいろいろな事物を観察してみますと、どんな物でも森羅万象すべての物が、ちょうどうまく適当な場所に収まっていることが分かります。人材もそれぞれ適当な地位や、職場を与えれば、それぞれ十分と働くものです。つまり、人間に上下はない」ということになります。同じような表現が英文の諺にも見られます。
“The right men in the right
place”となります。
古今東西を問わず、人材をうまく生かして使うことは経営者のもっとも大きなテーマであり、同じような教訓が世界各地にあるのです。
堀秀政という戦国武将の部下に、いつも泣き顔をした人物がいました。他の家来が「彼のように不吉な顔つきをした者は首にしてしまったらどうですか」と進言すると堀秀政は「いや、彼は法事や弔問の使いにやるのに適任だと思う。大名の家には、いろいろの人間を召しかかえておくのが大切なのだ」として進言に応じませんでした。
このように適材適所が大切であるという訓言や、ことわざは、数多く見いだすことができます。しかし、実際に人事を担当する人にとっては、なかなか実行できず、頭のいたいテーマです。
人事部課の査定のとき、「人間にはいろいろの特色がある」という捉え方よりも、「人間には、優秀な人物と、やや劣る人間がいる」として分類し、評価記載の場合にも、優良面とか、1、2、3あるいはABCなどと評点をつける制度が一般的です。
たとえば、「販売に適した人と、賭に強い人がいた場合」にどちらに良い点をつけるかといえぼ、どうしても販売に強い人の方に良い評点を与えることになります。ましてや、営業部に「セールスの上手な人」と「管理に秀れた人」がいれば、当然、セールスに強い人
が重宝され管理部門に才のある人は、埋れてしまいがちです。わが国の考課制度では、一つの均一化された基準が使われ、格差を無理につけるということがされています。 これが適材適所の人事を実行するのが難しい理由と考えられます。
経営者や、人事担当者が、特定の能力のある人をうまく生かそうとしてもなかなかむずかしい風土があることも事実です。
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