呉下の阿蒙

「呉国の阿蒙さんは、教養のない武人として知られていたが、主君のアドバイスに従って見違えるような戦略家になった」という三国志に登場する呉国の呂蒙にまつわる逸話から出た故事で、人間は勉強と努力で変わるものだという教えです。

呂蒙は三国志にでてくる呉孫権のもとで活躍した武将です。
字は子明、安徽省出身、子供のころから江南に移り、軍隊に入ったが、腕力に秀で、武術や戦闘が大好きでたちまち頭角を表わし、一軍の将となりました。 部下を育てるのがうまい当主の呉孫権は、武骨で乱暴な呂蒙ではあるが、育て方によっては立派な戦略家になれる素質があると考えたのです。

あるとき、「君も、一軍の将になったのだから、さらに伸びようと思ったら、武芸だけでなく兵法や学問を身につけなさい」とすすめました。すると乱暴者の呂蒙は、すぐ反抗して「なにぶん、軍務多忙でございます。本を読んだり、字の練習をしたりする暇はありません」と返事をしました。呉孫権は自分の体験から、陣中でさえも寸暇を惜しんで勉強した体験を話し、こんこんと諭しました。呂蒙は発奮して、猛烈に勉強し一流の戦術家になったのです。(呉志・呂蒙伝)

 部下の能力の可能性を認めこれを伸ばして、自己開発させるということは、なかなか難しいものです。孫権と呂蒙のやりとりは、われわれによい教訓を与えてくれます。
 優秀で、能力のある部下は、一面では個性が強く、自立性もありますから、上司のアドバイスに対して反抗することが多いからです。強引に、頭ごなしに叱ったり、訓言を押しつけたりしても思うように育ってくれません。下手をすると上司を馬鹿にしたり、腐ったりして、その才能が歪められてしまうからです。

 上司が本気になって、体験談などを話して根気よく説得しなければならないでしょう。孫権自身が兵書や史書の熱心な研究家であったことも、彼の説得を効果のあるものにしたと思われます。後に武帝となった曹操は、人物としては、厳しすぎるところがあり、姦雄の典型のように言われていますが、「各共の器に固り、情を矯め算に任せて、旧悪を念わず」(魏志・武帝紀)と伝えられるように、人の使い方がうまく、適材を生かして、各人の才能を発揮させたことでは有名です。

 上司として部下を正確に見抜くためには、@みずからの主観や感情を交えずAクールに理性的な評価をしB過去の失敗や、因縁にとらわれない。ということがポイントであるとおもいます。 好き嫌いや、感情的に結論を出すような上司のもとでは人材が育ちにくいものです。部下がよく見ていて、信頼するに足らないとして、心服していないからです。  

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