長生久視、不老長寿

ちょうせいきゅうしふろうちょうじゅ・・・・・
健康に留意して長生きをすることが、人生において一番大切なことです。自ら工夫して、老化することを防ぐよう努力しましょう。

 人生を祝うの言葉は「福・禄・寿」で代表されます。このなかで「福」は、一家が円満で、家族が皆元気で子孫が繁栄しているのを表します。「禄」は、収入財産に恵まれていて、安定していることで、最後に「寿」は長生きのことを表現しています。
「南山の寿」といえば、「松や柏がいつも青々と茂っているように子孫が栄え、事業が南山のように安定しているうえに、主人がいつまでも長生であること」を祝った言葉です。

南山は、周の都の南にそびえていた山で、終南山ともいわれ、堂々として崩れることなく、泰然としていることから、生命・事業がいつまでも続くことをたとえたのでした。

「長生久視」は「老子」にしばしばあらわれる言葉で「不老長寿」と殆ど同意義です。おめでたい言葉なので合わせて使われることもあります。
健康で、長生きすることは、人生の重要な要件であることは、言うまでもないでしょう。

中国の歴史上、最も大きな権力を握り繁栄した秦の始皇帝や漢の武帝が、最後に望んだのが「不老不死」です。この二人が、長寿のための薬品や生活方法を追求して、あらゆる手段をつくしたことは、史実によってもあきらかです。
始皇帝の派遣した徐福とその一隊は、日本まで薬を探しに来て、そのまま居ついてしまったと伝えられるほどです。とりわけ、優れた武人であり、詩人の才も卓越していた漢の武帝は、「歎きわまりて、哀愁探し」という名言を残しています。権力を持ち、美妃をたくわえ、美酒佳肴があっても、死に対する恐れは消えなかったのでしょう。

一方、「好死は悪活にしかず」ということわざがあります。これは漢の高祖の時代に活躍した季布という任侠の故事から生まれたものです。彼は「季語」と評され、一度応諾したことは必ず実行したことから、堅い約束することで有名でした。しかし、一時は囚われの身となり奴隷にまで身をおとしましたが、遂に生きのびて目的を達したとのことです。

有名な司馬遷はその行動を称え、「真の勇者は、軽はずみに死にはしない。囚われの身なり、一時の恥辱がどんなものであっても、それに耐えて生きのびてこそ、最終的な人生の目的を達することができるのだ」といったといいます。

かつて日本では、「生きて虜囚の恥目を受けず」というくらい、死を選ぶことは、「いさざよい」と評されていました。「身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝のはじめなり」ともいいます。残されたものの悲しみも十分に考慮しておきたいものです。

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