恒産なくして恒心なし

ある程度の安定した財産がないと、心も動揺しがちで、安定した状態を保つことはできないものです。清貧に甘んずることは、心構えとしては立派ですが、一般の庶民には難しいことです。

 「孟子」の「梁上編」にある言葉をやや日本風に修正した格言です。原文から孟子の真意を探ってみると、「恒産なくして恒心あり、若もそれ民に恒産なければ、因りて恒心無からん」。「心構えとしては、普通レベルの定収入や財産がなくても、平常心を失わないことが大切です。しかしもし一般の人民に、きまった相応の財産がなく、収入も不安定であれば、安定した気持を期待するのは無理というものでしょう」ということになります。

 この文章を理解するキーは「恒」という字です。この意味は、変らないもの、常に決まったものということです。私どもが普通に使う熟語としては「恒例」があります。会社のお正月の儀式で、司会者が「恒例により、社長から年頭のごあいさつを頂きます」などというのがありますが、「毎年変らぬしきたりとして…」という意味です。なお、見なれない言葉として「恒士」という語がありますが、これは普通の一般人のことを意味します。

「人生を豊かにする方法」ということをいろいろ考えてみましたが、本音の部分からいえば、ある程度の財産があり、また一定の収入があるということが基本条件だと言えます。「お金がないと、君子になれません」というような格言が見あたらない中で、孟子は民の心をうまく表現しています。しかし本来の彼の意図としては、「仮りに収入がなくても、動揺して心を乱すようではいけない」と述べています。これは合わせて民の心を明示したものと見てよいでしょう。
 豊かな人生の条件としては、
1)ある程度の財産があり、できれば老後の収入が安定し保証されていること
2)家族関係に不和がなく、友人に恵まれていること
3)趣味が豊かであること
などで、他に「普通の健康体であって、病気に悩まされることが少ない」などがあります。 一方、「清貧」を礼讃する考え方が格言にも多く見られますが、それは別項に譲るとしましょう。

 この諺とおなじ線上にある諺としては、「貧すれば鈍す」というものがあります。これは日本製のことわざで「貧乏するとよい判断ができなくなり、うまい考えも浮ばなくなる」ということで、貧乏人はますます貧乏から抜け出しにくくなるといっています。このことは現代の企業活動にも、あてはまるといえます。決算が悪くなって業績があがらなくなった会社では、ともすれば考えがミミッチクなって、大きな計画ができなくなり、また新しい思い切ったアイデアも生れにくくなります。
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