人生意気に感ず
人は相手が前むきで意欲のある態度であれば、それを感じて心と心が触れあうものです。そのような触れあいから行動するのであれば、結果は問わないものです。
唐時代の詩選集第一巻にある魏徴作述懐から引用された語句です。本文は、「人生意気に感ず、功名誰か論ぜん」と続きます。 これは唐の太宗に仕えて苦労を重ねた結果、志をとげ、功労のあった魏徴が感想を歌ったものとして有名です。「意気に感ず」ということが、比較的起こりにくくなっている昨今ですので「意気」についても考えてみましょう。
「意気投合」「意気消沈」「意気があがらず」などがすぐに頭に浮んできますが、要するに気分が高揚して、意欲が強いと同時にひたむきな気概のようなものをいうようです。「男の意気地」というように、志を決めたら、変節しない一貫したものというニュアンスを含んだ使い方もあります。
アメリカの経営学者と話をした時、経営者に必要な要素の一つ「emotional(エモーショナル)」という言葉を挙げていました。普通は「感動しやすい」「情にもろい」などと使われますが、ここでは「カツカと燃えてくるような仕事上の情熱」ということでした。「意気に感ず」とどこか共通点があるようです。
最近の若い人はクールで感動しないなどという評があります。私は必ずしもその説に同調しませんが、一見したところ冷静で、理論的に先を読みきってしまうために熱がないように見られるからかも知れません。
明治維新を成し遂げた若い人びとが、それぞれの思想に燃えて国家経営を論じあい、意気投合し、グループを形成し活躍した時代と現在では、あまりに社会の現実が違いすぎ、若者像を比較できないといえます。しかし、最近のベンチャー・ビジネスの成功例や活躍ぶりを見てみると、現代の著者の中にもなにものか、共通した情熱のようなものを感じます。
「人生意気に感ず」の現代版を、新しいアイデア、新しいビジネスのなかに見い出すことは充分に可能といえます。 さきに述べたアメリカの経営学者の“emotional“はまさにこのことを言ったのかも知れません。
そこで、本題の魏徴の詩にもどってみると、「‥‥功名誰か論ぜん」とあり、これは「成功して名を上げるとか、失敗して敗残の身になってしまうとか、そのようなことは全然眼中になく、論外である」といい切っています。
このことはベンチャー・ビジネスにもあてはまることで、三十才台で巨額の利益を上げ経済界に進出する人もあれば、失敗して消え去っていく人もいます。
しかし、ベンチャー的な仕事をするときに、企業内で行動するのと独力でやるのではリスクが全然違い、「意気ごみ」は変わります。
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