去る者は日々に疎し

頻繁に訪ねてくる人や、ときどき顔を出すような人とは、なんとなく情が移って親しくなります。反対にすこしも音沙汰がなく、遠く離れて姿を見せないような人とはどうしても関係が疎くなるものです。

本文は「文選」、雑部の中にある作者不明の詩の冒頭にある句からとられたものです。『文選』というのは、梁の太子蕭統の編といわれ、上代からのすぐれた詩や文章が集められた選集です。
原文は、「去るものは日々に疎まれ、生ける者は日々に親しむ」となっています。読み方を変えて「去る者は以て疎く、来る者は日に以て親し」となっている場合もありますが、同じような意味と取ってよいでしょう。
 原義からいうと、もともとは町の城門を出て郊外の墓地をながめたときの感慨の一首で、人生の無情を歌ったものです。取りようによっては「自分の愛を傾けた人が亡くなって、墓地に葬られているが、死んだ人とは、日を追うごとに疎遠になってしまう」と嘆いているように取れます。したがって、「生けるものは・・・・」は「来るものは・・・・」と同じ意味でなく、生きていて一緒に生活していると・・・・」という意味なのかも知れません。

 ビジネスの世界では、よく「ご愛顧を賜り・・・・」とか「可愛がられる」とか、取引先から親しまれることを重要視します。また、上司との関係では「親しくご指導いただいた」とか、「個人的なじっこんの間柄であった」などということが、キャリアの決定的な要因になり、ひいては一生の大半をスムースに暮らすことのできる基礎となることもままあるようです。
 この訓言をそのような親密な関係を維持する方法として受け取れば、ビジネス・キャリアについての教えとも受け取れます。
 上司との人間関係がうまくいかず、円滑に業務が進められなくなった人の話を開いてみますと、コミュニケーション不足になっていることが多いようです。一度注意を受けたり、叱られたからといって上司のところから足が遠のいて、敬遠するようなりますと、その人との関係は「日に疎く」なってしまい、関係改善の糸ぐちさえ失ってしまうようになるのです。上司としても、叱られたり、怒鳴られたりしても、次の日になったら、ニコニコしてまた近づいてくるようなタイプの人との聞では関係が修復しやすいのですが、自分のことを遠ざけているような部下は、可愛げがないと受け取るでしょう。

 筆者の痛恨事としては、仕事の関係で海外勤務が長く、両親との関係が疎くなってしまったということです。一緒に暮らしていた妹や弟への愛情が深まるのに反して、私とはいろいろ誤解が生じたようでした。もっと足繁く通っておくべきだったと反省しています。
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