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第12回
返ることのない、
生き逃した時間
日本の場合、己の生存をかけた競争は、きっと生まれた時から始まっている。幼稚園に入るか保育園に入るかで、人生が大きく左右することもあり、早期教育で一桁の年齢で、すでに恰好の飛び道具を身につける人も中にはいる。小学生の頃から塾にも通い、中学受験のために机に縛りつけられ、中学生になれば、高校受験のために今度は自ら机にかじりつく。高校生になれば、大学受験のために、そして大学に入れば、就職するために、全力疾走をし続けなければならない。どこへ向かって走ればいいのか、はっきりとはわからないまま、焦らされるがままに…。

ゆっくりと自分と向き合う時間もなく、そんな余裕すらなく、「とりあえず進学する」「とりあえず就職する」と、「とりあえず」その場しのぎの無難な選択をする。「とりあえず」、そうしなければ、後で取り返しのつかないことになるかもしれない。この電車に乗り遅れたら、もう次はないと考えて、一応乗っておく。

しかし、他人に蹴り落とされないように、他人を踏みにじって、やっとのことで登りついた場所で、自分がその手に握っているものを目にして途方にくれる。「こんなはずではなかった」と…。

3割の若者が、就職して3年以内に辞職していくという話も、私には少しも不思議ではない。先を急がされ、決断を迫られ、自分のことをよく知る間もなく、社会における自分の位置を確かめる間もなく、あわてて掴み取ったものが、自分にとって最高の選択肢である可能性はかなり低いだろう。「やっぱり違う」と感じて手放す人がいれば、違和感を持っていても「これが現実」と開き直って強引に進もうとする人がいたり。それでも、彼らの不安には共通しているものがある。

自分にとって本当に大切なものは何か。機会がなかった、時間がなかったと言って、自分という個の人間と、客観的な視線で対話することをしなかった若者の後に残るのは、二度と返ることのない生き逃した時間。そして彼らを待っているのは、生き残るために、勝ち残るために、自分を犠牲にし続けていく未来。プレッシャーやストレスで、ボロボロになった心は、終わることなく癒しを求めることだろう。

フィンランドで、勝者という言葉は、誘惑に負けそうな自分に勝って、ダイエットに成功した時などに使われる。つまり勝負は常に、他人との間ではなく、自分自身との間に行われるのだ。

立ち止まってみよう。今、その口からこぼれ出たものは、きっとつまらない愚痴などではない。自分の中で、改善を試みようとしている、もう1人の自分の心痛な叫びだ。救難信号を送っている自分に対し、見てみぬ振りをすることは、何の解決にもなりはしない。それがどんなにつらい現実だろうと、今自分の置かれている状況をしっかりと直視することができた時、必ず何らかの問題回避の術が見えてくる。そうして初めて、人は真の勝者となることができるのではないだろうか。

自分にとっての幸せな未来のビジョンを踏まえた上で、もう1度前を見てみたい。とりあえず、ではなく、たどり着くべき、目指すべきものへ、できるだけまっすぐに向かっていけるような、そんな選択をしていかなければ。


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